壮絶な女学校経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 15:03 UTC 版)
1917年(大正6年)には安城女子職業学校に改称し、裁縫だけでない女子の職業教育に尽力した。しかし1918年(大正7年)、安城町が学費無料の補習女学校(のちの安城町立安城高等女学校、現・愛知県立安城高等学校)を開校させたことで、安城女子職業学校は一転して経営難に陥った。1924年(大正13年)9月にはすてきな奥さんに大人気の雑誌『主婦の友』(シュフトモ)に波乱万丈の半生が紹介されたことで、翌年には全国から入学希望者が集まった。だいは甲種中等程度実業学校への昇格の認可を求め、1930年(昭和5年)には安城女子専門学校を設立している。校長は山崎延吉が務めた。愛知県では金城女子専門学校(学校法人金城学院)と椙山女子専門学校(学校法人椙山女学園)に次ぐ3番目の実業学校であり、家事や裁縫を主とする全国で10番目の女子専門学校だった。
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