1923年頃の編成
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ミュンヘンSA連隊(Münchener SA-Regiment) - 指揮官:ヴィルヘルム・ブリュックナーミュンヘンSA第1大隊(1. Bataillon der Münchener SA) - 指揮官:カール・ベッゲル ミュンヘンSA第2大隊(2. Bataillon der Münchener SA) - 指揮官:ヨーゼフ・ベルヒトルト(初代)エドムント・ハイネス(1923年7月-11月) ミュンヘンSA第3大隊(3. Bataillon der Münchener SA) - 指揮官:ルドルフ・ヘス(初代)ハンス・クナウス(ドイツ語版)(?-1923年11月) 突撃隊の訓練を行ったのは軍の工兵第7連隊と歩兵第19連隊第一大隊で、突撃隊は小銃、機関銃等の扱いを学んだ。また突撃隊に砲兵隊や騎兵隊、自転車中隊や軍楽隊などの組織が作られることになった。軍の影響力はさらに強まり、7月11日には「(突撃隊は)党の地区組織や党指導部から分離された、国民社会主義運動内部における別個の組織である。隊は突撃隊司令部の命令に従う」という命令が出された。 8月13日にグスタフ・シュトレーゼマン内閣が成立し、これまでドイツ政府が取ってきたフランス軍ルール地方占領への「受動的抵抗」路線が放棄され、西欧列強との関係回復を目指すことになった。これに反発した右左双方によるシュトレーゼマン批判が強まった。 ミュンヘンでも中央政府打倒の機運が高まった。これに乗じてヒトラーは9月2日に突撃隊やオーバーラント義勇軍(ドイツ語版)などを結集させて右翼軍事組織連合「ドイツ闘争連盟(ドイツ語版)」を結成させた。実質的指揮権はヒトラーが握りつつ、エーリヒ・ルーデンドルフ歩兵大将に名誉総裁に就任してもらっている。中央政府への批判を強め、バイエルン州総督グスタフ・フォン・カールによる「ベルリン進軍」の動きを支持するようになった。しかしやがてカールは中央政府からの圧力でベルリン進軍を日和見するようになり、これに固執するナチスを除外した右翼大連合政府を立ち上げようとしたため、ヒトラーは一揆を起こすことを決意した。9月26日にはレームも軍を退役し、ヒトラーの下に参じた。
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