焼失した文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/19 06:57 UTC 版)
太刀 銘光世享保6年(1721年)に徳川吉宗が寄進したとされる太刀。光世は鎌倉時代末期の筑後国三池の刀工である。拵は糸巻太刀拵で、総金具は赤銅魚子地金色絵割菱紋、鞘は金梨子地割菱紋蒔絵、柄並びに渡巻は茶地金欄包み花色糸巻。太刀箱は黒蝋色塗り、開き蓋で錠前付きであったという。大正13年(1924年)に当時の古社寺保存法に基づき旧国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定されていたが、昭和20年(1945年)7月9日の和歌山大空襲の際に焼失した。
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焼失した文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 03:25 UTC 版)
木造観音菩薩立像 - 元重要文化財(国指定)。塔頭の法花院に安置されていたが、2001年(平成13年)の火災で焼失した。
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焼失した文化財
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「四天王寺 (津市)」の記事における「焼失した文化財」の解説
以下の文化財は古社寺保存法に基づき国宝(旧国宝、現行法の重要文化財に相当)に指定されていたが、昭和20年(1945年)7月28日、戦災で焼失した。 木造大日如来坐像 木造薬師如来坐像 木造阿弥陀如来坐像 木造阿閦如来坐像 木造千手観音坐像
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焼失した文化財
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「松山城 (伊予国)」の記事における「焼失した文化財」の解説
1933年7月9日、不審火で以下の9棟の建造物が焼失した。 小天守、南隅櫓、北隅櫓、玄関、玄関多聞櫓、十間廊下、多聞櫓、筋鉄門、内門 1945年、戦災で以下の11棟の建造物(旧国宝)が焼失した。 天神櫓、馬具櫓、太鼓櫓、巽櫓、乾門、乾門東続櫓、太鼓門、太鼓門続櫓、乾門西塀、太鼓門東塀、太鼓門西塀 また、戦後の1949年2月27日、不審火で以下の3棟の建造物(旧国宝)が焼失した。 筒井門、筒井門東続櫓、筒井門西続櫓
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焼失した文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 09:59 UTC 版)
以下の建造物は、国宝保存法に基づく国宝(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定されていたが、1945年(昭和20年)7月9日、戦災で焼失した。 大天守 小天守 北西隅櫓 西南隅櫓 楠門(櫓門) 北東多門(単層櫓) 北西多門(単層櫓) 西多門(単層櫓) 南多門(単層櫓) 東倉庫 西倉庫
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焼失した文化財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:25 UTC 版)
鐘楼 – 旧・重要文化財。1962年(昭和37年)9月1日、放火により焼失。
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