木造観音菩薩立像(九面観音)
主名称: | 木造観音菩薩立像(九面観音) |
指定番号: | 96 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1955.06.22(昭和30.06.22) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 唐 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 唐時代の作品。 |
木造観音菩薩〈梵天/帝釈天〉立像
主名称: | 木造観音菩薩〈梵天/帝釈天〉立像 |
指定番号: | 3357 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1981.06.09(昭和56.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 3躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 瀧山寺本堂に客仏として安置される三尊像で、いずれも桧材を用いた寄木造である。縁起によれば、本三尊像は源頼朝の三回忌に当る正治三年(一二〇一)、追善供養のために鎌倉時代初期の著名な仏師運慶とその子息湛慶によって制作され、中尊の観音菩薩像は頼朝と等身に造り、像内には彼の鬢の毛と歯を納めたという。X線透視撮影によって頭部内に納入品の存在が確認されたが、目下何であるかは不明である。現在、像表面には後補の極彩色が施され著しく尊容を損ねてはいるが、木部は健全で、三尊共頭体の均衡がよく、充実した姿態を装飾性を加味しながら自然に彫成している。ことに中尊像は、文治五年(一一八九)運慶作の神奈川・浄楽寺阿弥陀三尊像(重文)の両脇侍像の表現に近い。作者について早急な結論は下せないが、鎌倉初頭の運慶一派の仏師の秀れた作例として注目される。 |
木造観音菩薩立像
主名称: | 木造観音菩薩立像 |
指定番号: | 3417 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1990.06.29(平成2.06.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 仁徳陵を擁する堺市の百舌鳥【もず】古墳群の一画に存する円通寺に客仏として伝えられた観音菩薩檀像である。近年堺市の有に帰した際、材質の分析が行われ、ビャクダンと鑑定されたが、わが国の桜を思わせるやや赤味を帯びた緻密な一材から、両手先、両足先をのぞく像身の大略を木取りしている。この種檀像の常として内刳はない。 頭部の大きなプロポーション、胸部が扁平で腹部を突き出す側面観、あるいは白毫・三道を表現しないところなど、きわめて古様であり、刀を垂直に入れて薄手の衣を謹直にたたむ彫口は中国隋代の石彫像に相通じるものがある。 しかし、左右の顎を張り頬の長い、顔だちや、上下ともに強い抑揚をもたせ、口縁をわずかに撥ね上げた唇がつくる微笑は隋代のそれとは異なり、例えば京都広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像(国宝)により親近性があるかにみえる。瓔珞の扱いにみられる簡素化の傾向も中国彫刻のそれとは異質な感もあり、腰佩【ようはい】の形式もむしろ朝鮮半島系と目される遺例に類似性がある。 本像の伝来については今明らかにすることはできないが、半島系渡来人にゆかりの深いこの地において七世紀後半頃に制作されたものと考えられる。白檀材を輸入しての制作ということになるが、飛鳥時代に大陸から完成品を請来した可能性も完全には否定できない。 いずれにせよ、わが国に伝存する檀像中、最古例の大作として注目される。 |
木造観音菩薩立像
主名称: | 木造観音菩薩立像 |
指定番号: | 282 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1937.08.25(昭和12.08.25) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造観音菩薩立像
主名称: | 木造観音菩薩立像 |
指定番号: | 888 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1903.04.15(明治36.04.15) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 右足〓に大仏師肥後別当定慶、嘉禄二年二月日造の銘がある |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1226 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造観音菩薩立像
主名称: | 木造観音菩薩立像 |
指定番号: | 1379 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1906.09.06(明治39.09.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造観音菩薩立像
主名称: | 木造観音菩薩立像 |
指定番号: | 1504 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1897.12.28(明治30.12.28) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造観音菩薩立像
主名称: | 木造観音菩薩立像 |
指定番号: | 2061 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1904.02.18(明治37.02.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 像内に大仏師良俊等の造像結縁交名の記がある |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造観音菩薩〈梵天/帝釈天〉立像(二間観音)
主名称: | 木造観音菩薩〈梵天/帝釈天〉立像(二間観音) |
指定番号: | 3082 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1959.06.27(昭和34.06.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 3躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造観音菩薩立像(観音堂安置)
主名称: | 木造観音菩薩立像(観音堂安置) |
指定番号: | 3095 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1901.12.18(明治34.12.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 像背面に奉造立、建保四年七月日の銘がある |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1216 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造観音菩薩立像
主名称: | 木造観音菩薩立像 |
指定番号: | 3325 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1977.06.11(昭和52.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 尾道に面する向島で近年発見された等身の一木彫像である。肩幅広く量感豊かな躰躯や飜波風の衣文に平安初期一木造の余風を伝えてはいるが、総体におだやかさが顕著となっており、製作は十世紀と考えられる。堂々たる風格があり、保存も比較的良く、数少ないこの地方の平安古像を代表する優品といえよう。 附の像はこれと一緒に伝世したものであるが、製作は十一世紀に下り、作柄も地方風が強い。当地方における造像傾向の変遷の一端をうかがわせる遺作として価値がある。 |
木造観音菩薩立像(九面観音)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)
「法隆寺の仏像」の記事における「木造観音菩薩立像(九面観音)」の解説
国宝。唐時代。像高37.1センチ。ビャクダン材、素地仕上げで細密な彫技をみせる仏像で、作風・技法から日本製ではなく、中国唐時代の作品とみられる。天平19年(747年)の『資財帳』に「檀像 壱具 右養老三年歳次己未従唐請坐者」とあるのが本像に当たるとみられる(「檀像」はビャクダン製の像の意)。像容は十一面観音に似るが、本体の顔と頭上の小面を合計しても9面しかないため、九面(くめん)観音と呼ばれている。日本における十一面観音像は、玄奘訳の『十一面神咒心経』の説くところにしたがい、頭上に菩薩相3面、瞋怒相(しんぬそう)3面、狗牙上出相(くげじょうしゅつそう)3面、大笑相1面を表し、頂上仏面と合わせて11面とするのが通例である。これに対し本像は菩薩相、瞋怒相、狗牙上出相が各2面、大笑相が1面で、これに頂上仏面、本面を合せても9面しかなく、図像的に他に例を見ない像である。ビャクダン材の一木造で、頂上仏面と頭上の三面頭飾を矧ぐほかは、持物、瓔珞、耳朶から下がって揺れ動く耳飾りに至るまで一木から彫出している。瓔珞の一部は体との間に隙間を設け、浮き上がるように彫出されている。
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