第二通信社
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この翌週に開催された同盟の第33回理事会の席上、古野は新通信社「共同通信社」の設立を宣言した。 「新通信社は『共同通信社』という名称の下に社団法人組織で、『同盟』と同じ新聞組合主義によって来月1日から新首脳部、新方針によって仕事をして行く。そして『同盟』で育成された人材が、この新機構運営の中枢にすわって、報道報国の使命を果たして行くことになる」 古野の発言から判るように、栄光ある同盟の衣鉢を継ぐのは、共同通信社であった。対して共同通信社の枠組みから外れた業務、即ち商況・出版を担当する通信社の方は、この時点では正式社名も決まっておらず、「第二通信社」と仮称された。新聞社向けの記事配信こそが通信社の本分であり、商況や出版は「第二」に過ぎなかった。 ある日、長谷川を昼食に誘った古野は、新聞組合を伊藤正徳(同盟の元参与、中部日本新聞社専務)に、経済サービスを長谷川に任せたいと語った。長谷川は一旦は断ったが、「外地に残る2千人近くの同志の生活を見てやれるのは君しかいない」との懇願に負け、不承不承ながらも古野の依頼を受け入れた。しかし、報道局長まで務めた自分が傍流に回されたという現実は容易には受け入れがたく、長谷川の心中には鬱屈した感情が残った。
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