第10次作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:14 UTC 版)
輸送船:有馬山丸・和浦丸・日昌丸 駆逐艦:清霜 12月7日にレイテ島西岸のアルベイラにアメリカ軍が上陸し、レイテ島の日本軍は揚陸地点(オルモック)と最前線部隊の連絡が遮断される事態になった。南西方面部隊指揮官の大川内傳七南西方面艦隊司令長官は、戦艦と戦闘行動に支障があるものを除く第二遊撃部隊のブルネー進出待機を命じた。だが該当する艦艇は足柄と大淀のみで、ブルネイも頻繁に空襲をうける状態であった。最終的に第二遊撃部隊(指揮官:志摩清英第五艦隊司令長官)のカムラン湾回航と待機が命じられる。12月12日、第二遊撃部隊はリンガ泊地を出発し、14日にカムラン湾に到着する。第二水雷戦隊司令官木村昌福少将は、旗艦を駆逐艦朝霜から軽巡洋艦大淀に変更した。カムラン湾集結時の兵力は、重巡洋艦足柄(第五艦隊旗艦)・第四航空戦隊(日向〈旗艦?〉・伊勢)・第二水雷戦隊(軽巡洋艦大淀・駆逐艦〈朝霜・霞・初霜〉)・給油艦日栄丸であった。 一方、大本営陸軍部・海軍部はタマ35船団(高雄~マニラ行)としてルソン進出中の陸軍歩兵部隊(第10師団の歩兵第39連隊・第23師団の歩兵第79連隊)を、輸送船4隻(有島丸・日昌丸・和浦丸・鴨緑丸)に乗船のままカリガラ湾に突入させることに決め、これを「決号作戦」と呼称、第十次多号作戦として実施することになった。大川内中将は、第二水雷戦隊の駆逐艦1隻(清霜)と輸送艦1隻を護衛部隊に編入した。船団は11日にマニラへ入港、出撃準備に入る。大本営の意向に対し、第14方面軍はタマ35船団の陸軍部隊をルソン島に配備するよう希望した。協議の結果鴨緑丸は作戦から外され、永吉支隊(歩兵第39連隊(一大隊欠)基幹)のレイテ島カリガラ湾西部逆上陸、畠中支隊(歩兵第71連隊の一大隊)の小レイテ湾補給基地設定が決まる。第10次多号作戦部隊は12月14日のマニラ出撃を予定した。 しかし13日に発見された敵上陸部隊が14日には北上を始め、ルソン島へ向かう公算が大きくなった(実際にはミンドロ島に上陸)。そこで第14方面軍は計画を中止、輸送予定部隊をルソン島守備の配置に就かせた。 これを受け同日第10次作戦の中止が発令され、ここで多号作戦は終了した。大川内中将(南西方面艦隊司令長官)もアメリカ軍がルソン島に来襲すると報じ、水上部隊の突入作戦を企図して第二遊撃部隊のカムラン湾から新南諸島への進出を下令、第二遊撃部隊決戦用意(NSB電令作第827号)を発令する。フィリピンの戦いはミンドロ島地上戦という局面を迎えた。12月25日、第14方面軍司令官山下大将(ルソン島マニラ)は、レイテ島の第35軍に対し、持久作戦への転移を命じた(尚武作命第二七二号要旨)。12月31日、多号作戦部隊は編成を解かれた。
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