「川南護國神社に空挺部隊一万有余の英霊合祀の由来」碑とは? わかりやすく解説

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「川南護國神社に空挺部隊一万有余の英霊合祀の由来」碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 07:03 UTC 版)

川南護国神社」の記事における「「川南護國神社に空挺部隊一万有余の英霊合祀の由来」碑」の解説

川南護國神社空挺部隊一万有余英霊合祀由来昭和十六年 川南村にあった広大な軍馬補充部牧場落下傘部隊降下場に転用され同年九月から使用始めた十七年には兵営建設され 数千落下傘兵がこの地で練武励んだ天下る落下傘兵天孫降臨なぞらえて空の神兵称され 村人庇護後援のもと精鋭誇る空挺部隊練成され 次々と南の決戦場に出て征き活躍したしかし 我々の悲願空しく戦敗多く戦友戦野に屍を晒し そのみ霊だけが当時豊原にあった陸軍挺身練習構内挺身神社に神鎮り給もうたのである ところが 二十一年初夏の頃 宮崎県進駐していた米軍理不尽に挺身神社を焼払ってしまった 拠り所失った英霊当時兵舎校舎にしていた宮崎師範学校寄宿舎周辺毎夜白い体操衣袴姿で走り廻るという噂が立ったそのようなことがあって 一時唐瀬石川富士之助翁の仏壇お祭りし 更に昭和二十四年この護國神社再建されるに及び ここに合祀し今日及んでいる。護國神社祭祀川南護國神社奉賛会によって永久に行われること感謝し後世のためここに由来刻しておく次第である。平成二年十一月二十三日 陸軍空挺部隊戦友一同 — 碑文引用出典 陸軍挺身部隊記念碑はこのほか、旧陸軍新田原飛行場跡に立地する航空自衛隊新田原基地内に「空挺歌碑」として建立されている。また、国立病院機構宮崎病院敷地内には、第3連隊兵営給水塔戦争遺構として残されており、農地開拓により消えてしまった練兵場唯一の遺構として、また川南町シンボルとして残されている。 一方海軍にも落下傘部隊編成されたが、「海軍落下傘部隊発祥野之地碑」は千葉県館山市海上自衛隊館山航空基地敷地内建立された。

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