記念碑建立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 05:48 UTC 版)
「日西墨三国交通発祥記念之碑」の記事における「記念碑建立」の解説
1924年(大正13年)、夷隅郡上野村(現・勝浦市)出身で、『報知新聞』の外事記者であった藤平権一郎(1885年 - 1948年)が、当時浪花村長だった浅野重雄(在任1919年 - 1927年)に対し、岩和田(当時は浪花村に属していた)は「我が国と外国との貿易が公然と行われる事となった貴重な史跡の地であるから、記念碑を建てて後世に伝うべきであるが御意見は如何か」と申し出た。浅野村長は藤平記者、漁業協同組合長市東常吉らと諮って記念碑建設を決意し、さらに地元選出の森矗昶衆議院議員(森コンツェルンの創業者)らとも協議し、記念碑の建立を発起した。 建設のため日西墨交通発祥記念碑建設会が設立され、会長に元スペイン駐箚公使廣澤金次郎、会計委員長に森矗昶がそれぞれ就任した。1926年(大正15年)11月7日、駐日スペイン公使ペドロ・クワルチン(Pedro Quartín)、千葉県知事縣忍らによって起工式が挙げられた。そして、事故から319年目となる1928年(昭和3年)10月1日、落成式が行われた。落成式にはスペインのクワルチン公使とメキシコのスキャフィーノ公使をはじめ、福永尊介千葉県知事、森恪外務政務次官、森山慶三郎日墨協会会長、石井菊次郎貴族院議員(千葉県出身)ら多数の名士が参列し、森矗昶の次女・睦子(のちの三木武夫夫人)によって除幕が行われた。 記念碑は高さ17メートルの鉄筋コンクリート製で、完成当初は周囲に大理石(白鳳石)が張りつけられており、表面に徳川家達公爵による題字、左側にスペイン国王アルフォンソ13世の親筆、右側にはメキシコ大統領プルタルコ・エリアス・カリェスのメッセージが、それぞれ青銅で鋳造され、はめこまれた。設計者は東京美術学校教授の金沢庸治、施行者は千葉市の式田建設であった。建設工費は1万9737円81銭で、スペイン・メキシコ両政府をはじめ、各界からの寄付によってまかなわれた。
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