ペトルス・カニシウスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ペトルス・カニシウスの意味・解説 

ペトルス・カニシウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/10 03:10 UTC 版)

聖ペトルス・カニシウス
イエズス会司祭
教会 カトリック教会
イエズス会
聖職
司祭叙階 1546年
個人情報
出生 1521年5月8日
オランダ
ナイメーヘン
死去 1597年12月21日
スイス
フリブール
聖人
記念日 12月21日
崇敬教派 カトリック教会
称号 教会博士
ドイツ第二の使徒
列福 1864年
列福決定者 ピウス9世
列聖 1925年
列聖決定者 ピウス11世
テンプレートを表示

ペトルス・カニシウスラテン語: Petrus Canisius, 1521年5月8日 - 1597年12月21日)は、カトリック教会イエズス会司祭聖人教会博士聖ボニファティウスに次ぐ「ドイツ第二の使徒」と呼ばれる[1][2]

生涯

カニシウスはオランダ・ネイメーヘンに生まれ、ケルン大学で法律家を志して学んでいたが神学に転向。司祭になる決心をした彼はドイツでピエール・ファーヴルと出会い、1543年、イエズス会に入会。カニシウスはドイツで最初のイエズス会士となる[1][2]

当時ドイツ各地は荒廃し、司祭が不在な教会が存在していた。カニシウスにドイツにおけるカトリックの環境を再生すべく布教に当たった[1][2]

カニシウスは1546年、司祭叙階され、翌1547年、トリエント公会議に出席、カトリック教会の立場を擁護し、大学で教鞭を取りながら信仰に関する書物を執筆、出版し、特に『カトリック小教理問答』は15ヶ国語に出版されている[1][2]

ペトルス・カニシウス

1597年12月21日、赴任先のスイスフリブールで死去。1864年、教皇ピウス9世により列福され、1897年レオ13世により「ドイツ第二の使徒」の称号が与えられ、1925年ピウス11世により列聖され、教会博士に宣言された[1]

出典・脚注

  1. ^ a b c d e 教皇ベネディクト十六世の258回目の一般謁見演説 聖ペトルス・カニシウス”. カトリック中央協議会 (2011年2月9日). 2022年12月21日閲覧。
  2. ^ a b c d 聖人カレンダー 12月21日 聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士”. 女子パウロ会. 2022年12月21日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ペトルス・カニシウスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ペトルス・カニシウス」の関連用語

ペトルス・カニシウスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ペトルス・カニシウスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのペトルス・カニシウス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS