カトリックの聖カタリナ教区教会
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「ウナ (ドイツ)」の記事における「カトリックの聖カタリナ教区教会」の解説
ウナは16世紀後半に福音主義に転じたため、カトリック教会は17世紀末頃にやっと再興された。1672年のブランデンブルク選帝侯とプファルツ=ノイブルク公との和議により、現在のクロスター通りの修道院礼拝堂がカトリック教会に与えられた。この礼拝堂は1468年に建設されたもので、アレクサンドリアのカタリナにちなんで命名された。この礼拝堂は1683年から1848年までカトリックの教区教会として利用された。その後は1938年11月9日の排斥運動(水晶の夜)までウナのシナゴーグとなっていた。現在は印刷所が入居している。2つめのカトリックの教会堂は、現在の教会の南西、後のバーンホーフ通りに建設された。この教会堂は1900年頃にはすでに、信者の急速な増加のために手狭になった。1933年までに新しい教会の計画が立案された。 市の中心部の北端にドルトムントの建築家フレールスとコナートの設計に基づき、1933年から1934年に2つの塔を持つネオロマネスク様式の教会が建設された。鉄筋コンクリートの簡素な壁は緑色を帯びたアンレヒター・ドロマイトのファサードで装飾されている。定礎は1933年11月26日に行われた。1934年10月7日にパーダーボルン大司教カスパー・クライン(ドイツ語版、英語版)によって聖別された。西の入口上に据えられた2体の大きな像は彫刻家ヨーゼフ・バロンの作品で、聖ボニファティウスとペトルス・カニシウス(ドイツ語版、英語版)の像である。南の塔には、7人の芸術家によるレリーフ「ウナのロバ」が掲げられている。 2002年に大規模な修復が行われ、これに伴い内部の改築も新たに計画された。建築の明確な特徴は維持され、内部の雰囲気は改善された。トーマス・ケッセラーの監督下で調度に関連性がもたらされ、補填し合うというコンセプトが導入された。
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