アレクサンドロス1世_(アレクサンドリア主教)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アレクサンドロス1世_(アレクサンドリア主教)の意味・解説 

アレクサンドロス1世 (アレクサンドリア主教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 10:14 UTC 版)

アレクサンドリア主教アレクサンドロス
主教司教)・成聖者[1]
他言語表記 : Αλέξανδρος Α΄
: Alexander of Alexandria
生誕 250年頃?[2]
ローマ帝国
アレクサンドリア[2]
死没 326年4月17日[2]
ローマ帝国
アレクサンドリア[2]
崇敬する教派 正教会[2]
非カルケドン派[2]
カトリック教会[3]
記念日 正教会:5月29日ユリウス暦を使用する正教会では6月11日に相当[2][4]
カトリック教会:4月17日[3]
テンプレートを表示

アレクサンドロス1世Αλέξανδρος Α΄[5], ? - 326年永眠)は、第13代[2]アレクサンドリア主教[注釈 1](在位:313年 - 326年[2][3][4])。

彼の前半生についてはよく判って居ない(生年すら憶測の域を出ない)[2]

アリウス派への論駁に活躍。第1ニカイア公会議(第一全地公会)では、後にニカイア派と呼ばれる、アリウス派を弾劾した側の主要メンバーであった[2][3]。この公会時に、彼が教育して輔祭助祭執事)としていた大アタナシオスを秘書として同行させ、大アタナシオスが活躍するきっかけを作った[6]

教会史家であるテオドレトスソゾメノスギリシア語版コンスタンティノープルのソクラテスはアレクサンドロス1世について、傑出した神学者であり偉大なる牧者であったと記している[1]

326年死去[1]

注釈

  1. ^ 当時はまだ総主教(パトリアルケース、パトリアルヒス、パトリアルフ)という称号は無かったが、歴代アレクサンドリア総主教には数えられる。

参照元

先代
アキラス
アレクサンドリア主教
313年 - 326年
次代
アタナシオス



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アレクサンドロス1世_(アレクサンドリア主教)」の関連用語

アレクサンドロス1世_(アレクサンドリア主教)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アレクサンドロス1世_(アレクサンドリア主教)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアレクサンドロス1世 (アレクサンドリア主教) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS