ローマ教皇庁
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ローマ教皇庁(ローマきょうこうちょう、ラテン語: Curia Romana)は、使徒ペトロに由来するとされる使徒継承教会の首長としての地位の継承者として存続するカトリック教会の聖座(使徒座)の(統治)機関のこと(Can. 360 CIC 1983)。また、ローマ教皇の下に全世界のカトリック教会を統率する組織であり、国際法上の主権実体として外交使節の派遣や大使館の設置も行う(バチカン市国基本法第二条)。現在の所在地はローマのバチカンであり、バチカン市国という世界最小の主権国家の中に置かれている。
- 1 ローマ教皇庁とは
- 2 ローマ教皇庁の概要
ローマ法王庁
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「重機甲乙女 豆だけど」の記事における「ローマ法王庁」の解説
神聖同盟の中核をなす。キリスト教の総本山。ローマ法王庁の枢機卿や軍人の軍服は、第二次世界大戦期のイタリア・ファシスト党の国防義勇軍(MVSN)の軍服に準じたデザイン。 リアーリオ 神聖同盟総司令官代理で、爵位は枢機卿。左頬の傷跡が特徴。ペロンⅠ世の甥だが庶子との噂もある。愛国心と野心が強く、前線の各軍に指令を出すのみならず、自ら前線に出ることも厭わないが、ゆくゆくは「イタリアを統一しその指導者になる」という野望を持っている。また女好きな一面もあり、バルバラ曰く「ジョヴァンニと同類」。 メリッサとは同じ志を持つ者として、また一人の女性として好意を持ち、生涯の伴侶とすべく彼女に告白し、彼女の唇を奪ったところ、逆に彼女を怒らせて鉄拳を浴びてしまい、それでも度々彼女に連絡を取り付けるが、その度に様々な物資を要求され、結果としてパトロンになっている。 オスマン空軍によるローマ空襲で指揮系統が大打撃を受けた後、グレオに代わって二代目総司令官として全軍を指揮している。 オルシーニ リアーリオの補佐役で神聖同盟の主力、ローマ第一親衛軍を率いる寡黙な軍人。 ペロンⅠ世 ローマ法王。ボルジア家出身。オスマン帝国によるイタリア侵攻に際し、「異教徒撲滅」を掲げて周辺諸国に参戦を呼びかけ、神聖同盟を結成させた。 元々田舎出身の司教で、法王になって権力を得てからは、信仰心を煽って民衆から御布施をまき上げ、親族を枢機卿の位に引き上げ周囲に就かせ、さらにはグレオを差し置いて自ら総司令官気取りで神聖同盟を指揮しようとするなど、その自己中心的な言動から、貴族たちから「俗物」「田舎出自の成り上がり者」と陰口をたたかれている。 オスマン空軍によるローマ空襲で自身に危険が迫ってくると、それまでの楽観的な考えから一転、己の保身のためにリアーリオから空軍の指揮権を取り上げて法王庁の護りに就かせたり、いざと言う時の「逃げ道」を確保しようとするなど、自己中心的な言動に拍車がかかっている。 ドーリア 法王庁海軍提督。ジェノヴァの有力貴族だが、元々は地中海を暴れまわった海賊一族の出。戦時は海の傭兵、平時は海賊と血の気の多い性格で、いつ裏切ってもおかしくないことで有名。 法王庁の命によりガルマ軍を航路で輸送する際にオスマン海軍の潜水艦により艦隊が被害を受け、ローマで入渠していたが、戦況が不利になったことで神聖同盟から離脱しジェノヴァで防衛のために帰国しようとした所でジョヴァンニからヴェネツィア・アドリア海でのオスマン軍の補給路断絶の提案を受け活動を再開する。 グレオ・メディチ 神聖同盟初代総司令官。ペロンⅠ世のわがままに付き合いながらも神聖同盟を指揮していたが、ローマ空襲の後総司令官の座をリアーリオに譲り、自身はペロンⅠ世のお守りをすることとなった苦労人。
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