世界平和記念聖堂建設とは? わかりやすく解説

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世界平和記念聖堂建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:52 UTC 版)

世界平和記念聖堂」の記事における「世界平和記念聖堂建設」の解説

区画整理による換地敷地計画当初より倍以上に広がって結局どの案が当選していようとも実施設計大幅な変更余儀なくされ、5947m2の敷地に、聖堂講堂司教館の3施設をどうデザインしどのように配置するかが課題とされたコンペ自体が、実質的にほとんど意味のないものになっていった。 コンペの時示され予算は、塔を含めた聖堂部分1500万円講堂700万円、あと司教館部分若干の手当とを合計して2200万円であったが、第二次世界大戦後インフレ聖堂建設費だけで一気6000万円膨らんだ聖堂1950年昭和25年8月6日着工したものの、期を同じくするようにして1950年昭和25年6月25日から始った朝鮮戦争による建設資材不足で、鉄筋鉄骨は4倍から5倍に、セメントも3倍近くにも高騰し、たちまちのうちに施工者側との間で契約更改追い込まれのである。 そこで新たな資金手当のために後援会組織されることになったが、それと並行して1951年昭和26年7月荻原広使徒座代理ドイツオーストリアブラジル訪問し聖堂必要な備品装飾現物供与の形で寄贈を受けることになり、鐘やパイプオルガン大理石祭壇などが、都市から都市への友好証しとして届けられることになった募金総額寄贈品含めて9800万円にのぼり、その内訳は日本国外からの援助が約4000万円パイプオルガンなどの寄贈品の形で約2000万円日本国内からは第一次募金が約1450万円第二次分が約2350万円合計9800万円であった実際にかかった工事費は約1億1500万円とされているが、不足分どのように手当されたのかは明確でない三角州の上発展した広島市地盤軟弱で、出だし基礎工事から難航した構造担当したのは、早稲田大学教授内藤多仲内藤当時早稲田大学教授であった弟子南和夫が考案した筒形基礎理論によって、通常2030メートルもの深さ達す基礎杭を打たなければならないところを基礎の下にシリンダーシェルを設けたり基礎底面広げて地耐力を増すことで対応したまた上構造重量軽減するために、中空コンクリートブロックを使うことが採用された。 RC造鉄筋コンクリート)の建物に、被爆広島川砂使った灰色レンガ外観部に化粧積みしている。資金不足の面から、部材外注に頼るのではなく現場で内製せざるを得ず村野藤吾職人肌のこだわりもあって、村野建築材料一つ一つから直接指示して作らせた手作り建築と言ってよい。実際現場で細かな指示やり直し含めた厳し注文があったという。表現派巨匠村野藤吾施工段階設計変更することは、よく知られ事実である。本来であれば1年半から2年ほどの工事であったが、建築資材高騰による工事中断を含めて完成まで4年歳月要することになった当初1953年昭和28年11月3日予定されていた献堂式日取り順延となり、翌1954年昭和29年8月6日原爆慰霊日に合わせて献堂式が行われた。しかし内陣の壁にはモザイク画もなくまっさらであり、窓にはステンドグラス代わりに無色透明板ガラス嵌められいただけであった竣工後も世界各地から寄贈品の形で備品部品届けられ最後ステンドグラス嵌め込まれたのは、献堂式から8年後の1962年昭和37年)のことであった鐘楼2層部分東西壁面には、正面西側日本語で、東側ラテン語で、「聖堂記」として次ぎのような文言彫り込まれた碑板(プレキャストコンクリート板)が嵌め込まれている。 此の聖堂昭和二十年八月六日広島投下されたる世界最初原子爆弾犠牲となりし人々追憶慰霊のために、また万国民の友愛と平和のしるしとしてここに建てられたり而して此の聖堂によりて恒に伝へらるべきものは、虚偽非ずして真実権力非ずして正義憎悪非ずして慈愛即ち人類に平和を齎す神への道たるべし故に此の聖堂来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者永遠安息人類相互恒久平安とのために祈られんことを昭和二十九年八月六日 — 世界平和記念聖堂建設に伴う幾多の困難と、#審査結果や#意外な結末あるよう様々な紆余曲折経て聖堂完成をみることになったが、結果的に見れば最初に掲げられた「モダン・日本的・宗教的記念的」の4つの条件満たして世界平和記念聖堂第二次世界大戦後表現派金字塔とも言える村野藤吾渾身の力作となった。そして2006年平成18年7月村野好敵手丹下健三設計広島平和記念資料館1955年とともに第二次世界大戦後建築としては初め重要文化財建造物)に指定されのである

※この「世界平和記念聖堂建設」の解説は、「世界平和記念聖堂」の解説の一部です。
「世界平和記念聖堂建設」を含む「世界平和記念聖堂」の記事については、「世界平和記念聖堂」の概要を参照ください。

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