日本への布教
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「日本におけるアフマディーヤ」の記事における「日本への布教」の解説
日本におけるアフマディーヤの歴史は1935年にインドから神戸に宣教師が訪れて布教を行ったことに始まる。ただし、この宣教師はスパイと疑われたために4、5年滞在したのちに布教を中断して撤退した。 1965年、アメリカ合衆国から東京に宣教師が派遣されたのを皮切りに再布教が行われた。1970年代には東京を中心に活動していたが、1981年には当時の日本の主任宣教師であったアッタウル・ムジーブ・ラシードは本部を名古屋に移転し、本部を名古屋、支部を東京に置くという体制とした。名古屋を移転先にした理由についてラシードは、名古屋は日本で4番目に大きい都市であり、また、地理的に日本の真ん中にあるためであると語っている。これによって日本におけるアフマディーヤの活動の中心は名古屋となった。本部は名古屋市名東区にある一戸建ての住宅に置かれ、「イスラム教会アハマディアセンター」と名付けられた。1980年代にはアフマディーヤは活発に布教活動を行った。1983年には自動車を用いた地方での宣教を中国地方、四国地方、東北地方で行った。また、横浜駅の電光掲示板に日本語で布教のメッセージを流すという活動を行っていた。
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日本への布教
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「カナダ・メソジスト教会」の記事における「日本への布教」の解説
1873年(明治6年)6月 カナダ・メソジスト教会より最初の宣教師であるジョージ・コクランと宣教医デイヴィッドソン・マクドナルドが派遣され、横浜に上陸。 1874年(明治7年)4月8日 D.マクドナルド、静岡の賤機舎にお雇い教師として赴任。静岡教会の基礎を築く。 1876年(明治9年)9月8日 カナダ・メソジスト教会より第二陣宣教師としてG・M・ミーチャムとC・S・イビーが派遣され、来日。 10月 ミーチャムはD.マクドナルドの依頼で沼津の集成舎にお雇い外国人として赴任。沼津教会の基礎を築く。 1878年(明治11年)コクランとマクドナルド、カナダ・メソジスト教会に婦人宣教師派遣を請願。 C.S.イビー、近藤喜則に招かれて甲府緑町にあった英学塾のお雇い教師として赴任。甲府教会を創設。イビーは後に、日本部会のある東京でも伝道して、本郷中央教会を設立した。 1882年(明治15年)12月27日 最初の婦人宣教師マーサ・カートメル、横浜に上陸。 1884年(明治17年)10月20日 麻布区鳥居坂町14番地に女子ミッションスクール東洋英和女学校(後の東洋英和女学院)を開校。マーサ・カートメルが初代校長となる。 11月1日 麻布区鳥居坂町13番地に男子ミッションスクール東洋英和学校が開校。ジョージ・コクランが初代校長となる。 1889年 宣教師たちは東京駿河台のカクランの家に集まって日本部会を組織して、これをトロント年会の下に置いた。そして、三人の日本人青年が教職補に任職された。 1907年 米国メソジスト監督教会、アメリカ南メソヂスト監督教会と合同して、日本メソジスト教会を設立した。もともと、カナダ・メソジスト教会では監督制を採用していなかったが、合同において採用された。
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