お雇い外国人としてとは? わかりやすく解説

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お雇い外国人として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 18:15 UTC 版)

ローウェンホルスト・ムルデル」の記事における「お雇い外国人として」の解説

1879年明治12年3月29日土木工師として来日同年2月離日した、学校先輩でもあるファン・ドールン後継者として期待されていた。日本での最初の仕事新潟築港にむけての調査で、ムルデルエッセルと共に任にあたった当時新潟港土砂流入により大型船河口への侵入ができなくなっており、ムルデル河口改良エッセル信濃川改修調査し突堤建築進言した。1881年明治14年)、内務省より東京築港立案を命ぜられ、後にデ・レーケらも参加するが、ムルデル初期立案者として東京港基礎つくった。 同1881年明治14年4月見沼代用水改良計画提出同年11月熊本県築港調査し意見書提出、これにより百貫港改修廃案になり、ムルデル設計三角港築港されることになった1883年明治16年8月富山県河川庄川常願寺川早月川布施川黒部川など)を調査調査結果復命書越中五大蘭人工師見込書』が9月13日内務省土木局長の石井省一郎提出され上流域での焼畑中止用水合口化、河口部排水改善などを提言した。これはデ・レーケ常願寺川改修計画にも影響与えた。なお、長年デ・レーケ発言とされてきた「これは川ではない、滝だ」については、2020年ムルデル発言かつ、川は早月川指していたことが裏付けられている。 同年1883年には函館港水深年々浅くなっていく問題調査している。1884年明治17年)には三菱在職していたイギリス人とともにファン・ドールンにより設計され1882年明治15年)に竣工した宮城県野蒜築港調査問題多く大型船停泊は困難とし、女川港改修主張した1885年明治18年2月利根運河計画提出江戸川関宿野田間にある巨大な中洲により水運滞っていた問題対し茨城県知事人見寧茨城県会議員広瀬誠一郎らが運河建設要請したことによるものであった。しかし、国内情勢鉄道建設が熱を帯びてきており、千葉県知事船越衛河川沿いに軽便鉄道建設する考え持っていた[要出典]。結局茨城千葉の両県は運河建設合意し同年7月内務大臣運河開削上申された。1886年明治19年6月ムルデル一時帰国し、翌1887年明治20年5月再来日し、6月にはデ・レーケと共に運河修正計画提出8月には熊本県三角西港竣工式出席9月には大阪港改築淀川改修意見書提出するなど、活発に活動行った1890年明治23年)、利根運河通水するも6月開通式を待たず任期満了のため5月帰国した開通式に宛てたムルデル祝辞には、式典出席できず帰国することへの遺憾の念述べられている。

※この「お雇い外国人として」の解説は、「ローウェンホルスト・ムルデル」の解説の一部です。
「お雇い外国人として」を含む「ローウェンホルスト・ムルデル」の記事については、「ローウェンホルスト・ムルデル」の概要を参照ください。

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