中国の雑徭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 05:11 UTC 版)
中国の雑徭(ぞうよう、ざつよう)は、北魏に始まり、唐で完成した。唐では地方官庁が徴発した。詳細については不明な点が多く、租庸調と並び基本的な税目とであったとする説と基本的な労役は租庸調とは別系統である差科(職役などが代表例)であって雑徭はその補完でしかない(日本は戸を等級で分けて等級ごとに負担する労役を定める差科制を採らなかった為に等級に依らない雑徭が義務化された)とする説がある。またその負担についても義務であったとする説と、臨時的な税であり賦課されない場合もあったとする説に分かれている。庸が本来年間20日の労役の義務であるのに対し40日の雑徭により庸が免除され、更に庸を布で納めた場合には労役1日分の代替と同時に雑徭も2日分免除されるなど、庸の労役と雑徭は表裏一体のものであった。
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