中国の鎧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 15:44 UTC 版)
殷の時代に木や革を胸に当てる原始的な鎧が用いられるようになった。周代には同様の形式で、青銅製の一枚板で造られたものが出現した。春秋戦国時代に入ると、小さな長方形の札を革紐で縦横に綴った札甲、いわゆるラメラーアーマーが一般的なものになり、以降中国甲冑の基本形式となった。 札は革製のものと青銅製のものがあり、前者は一般の兵士が用い、後者は司令官や将校など上位の軍人が着用した。漢代には鉄製の鎧が普及し、楕円形の小札を隙間なく並べた魚鱗甲が出現した。中には腕を筒状の袖で覆う筒袖鎧と呼ばれるタイプのものもあった。また漢代には騎兵が軍の主力となり、敵の攻撃から足を守るために下半身を覆う鎧が現れた。魏晋南北朝時代になると、歩兵の装備が軽装化される一方、全身を鎧で覆った重装の騎兵が一般化した。中には胸部のみを一枚の鉄板で保護した明光鎧もあり、唐代には上位の軍人が好んで使用した。 時代を経るごとに小札の形状は多様化していった。宋代から明代の初期にかけては、山文甲のような装飾性と実用性を兼ねた鎧が広く用いられ、中国甲冑はある種の最終形態に到達した。その後、明代から清代にかけて銃火器が発達すると、その威力に対抗できなくなった甲冑は次第に儀礼的なものとなり、やがて外観だけを甲冑に似せた布製の制服に名残を留めるのみとなった。 玄甲 魚鱗甲 明光鎧 筒袖鎧 唐十三鎧(明光甲、光要甲、細鱗甲、山文甲、烏錘甲、白布甲、絹甲、布背甲、歩人甲、皮甲、木甲、鎖子甲、馬甲)
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