中国の重陽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 07:27 UTC 版)
中国では、『芸文類聚』に魏の文帝が鍾繇へ菊花を贈った記事が見える。上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミ)ではなく呉茱萸(ゴシュユ)の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛け遠くを見る(これを登高と呼ぶ)ことが行われた。 中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代である。劉歆による『西京雑記』に、高祖の愛妾であった戚夫人が殺害された後、宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭が、9月9日は宮廷では茱萸を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったと人に話したことにより、民間でも祝われるようになったとある。 唐代の重陽は2日あるいは3日間にわたって祝われていた。これは李白の『九月十日即事』からもうかがい知ることができる。 2012年6月26日、十一回全国人民代表大会常委会第二十七次回ではじめて中華人民共和国老年人権益保障法の修訂草案が審議された。その結果、2013年7月1日施行の同法第9条で重陽(旧暦9月9日)を「高齢者の日」(中国語: 老年节)と定めた。
※この「中国の重陽」の解説は、「重陽」の解説の一部です。
「中国の重陽」を含む「重陽」の記事については、「重陽」の概要を参照ください。
- 中国の重陽のページへのリンク