李成桂と箕子朝鮮の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 05:21 UTC 版)
李成桂は、李氏朝鮮建国前に北方民族を懐柔するための榜文のなかで、朝鮮を征服して箕子朝鮮を建国した中国殷王朝の政治家である箕子について、「堯と並び立つ武王が箕子を朝鮮に封じ、遼河の西の疆域を下賜した」と主張するなど、箕子の業績を顕彰、その威徳を讃えている。また明朝に国号の命名を要請し、新王朝の樹立の正統性を明から得た後も「箕子,始興教化之君」を語り、箕子による朝鮮人教化の意義を強調している。李成桂は箕子の祭祀について、「箕子が朝鮮に封じられ、文化の礎となった。前朝(高麗王朝)の始祖は、三韓統一に尽力した人物なので、祭田を設けて祭祀をおこなうのが妥当であろう」と主張し、国家の歴史・文化の象徴である箕子の業績を顕彰、その威徳を讃えるため、箕子を祭祀することを主張した。
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