李成桂との関連性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:08 UTC 版)
李義方の弟の李璘は兄の死後、乱を避けて故郷の全州に都落ちし、家門を保全させたと伝えられている。モンゴルが高麗に侵入した頃、李璘の孫である李安社は一族郎党と共に東北面に移住し、やがて高麗を裏切ってモンゴルに投降し、ダルガチ(達魯花赤)に任官された。現在の咸鏡北道一帯に定着した全州李氏一家は、李安社の曾孫である李子春の代になって元朝が衰退する兆しを見せると、再び高麗に帰順し、李子春の子として李璘の六世の孫にあたる李成桂が朝鮮王朝を建国したというのが、韓国の一部歴史学者が主張する李成桂の祖先の来歴説だ。ただし、この説についてはまだ明確に検証されたところがない。
※この「李成桂との関連性」の解説は、「李義方」の解説の一部です。
「李成桂との関連性」を含む「李義方」の記事については、「李義方」の概要を参照ください。
- 李成桂との関連性のページへのリンク