李成桂による建国とは? わかりやすく解説

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李成桂による建国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:38 UTC 版)

李氏朝鮮」の記事における「李成桂による建国」の解説

李成桂#朝鮮王朝建国までの道程」も参照 13世紀以来、元の属国となっていた高麗は、元の衰退乗じて独立を図るが、北元と明の南北対立倭寇襲来によって混乱し混沌とした政治情勢にあった14世紀後半中国遼東の納哈出征討と元の干渉からの脱却遼陽制圧女真倭寇討伐などでの数々武功名声確固たるものにした高麗武将李成桂1388年、明が進出してきた遼東攻略するため出兵命じられ鴨緑江布陣したが、突如軍を翻して威化島回軍起こし高麗首都開城占領高麗政権を完全に掌握したその背景には、李成桂がもともと反元・親明派であって王命対す反発があったことに加え当時行き詰まっていた高麗政治改革しようとする新興の儒臣官僚たち支持があった。遼東攻撃不当とした李成桂は、当時の王に対してその不当性を主張し、これを廃して昌王王位につけた。この時の李成桂主張には「小国大国に逆らうのは正しくない」というものがあり、事大主義だと批判する歴史家もいる。一方で当時高麗軍事力で明と戦うのは無理であり合理的選択であった考え見方もある。 李成桂支持した両班たちは、朱子学では中華尊んで夷狄斥けるから、漢民族の明こそ正統天子であり明に歯向かうことは天子の国を犯すことになると正当化した

※この「李成桂による建国」の解説は、「李氏朝鮮」の解説の一部です。
「李成桂による建国」を含む「李氏朝鮮」の記事については、「李氏朝鮮」の概要を参照ください。

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