朝鮮における攘夷高揚とは? わかりやすく解説

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朝鮮における攘夷高揚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:42 UTC 版)

日朝修好条規」の記事における「朝鮮における攘夷高揚」の解説

この条約締結され当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかし、そのような朝鮮1860年代以降欧米列強から近代的な国交・通商関係求められるうになる当時朝鮮政権担っていたのは高宗実父興宣大院君である。大院君鎖国維持する姿勢貫いた。これは中国における西欧側の行為知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策推進していた大院君西欧諸国夷狄視していたことも理由一つである。大院君は「西洋蛮人侵犯戦わない事は和議をする事であり、和議主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑朝鮮各地に建て、攘夷機運高めたまた、朝鮮では、文禄・慶長の役中国朝鮮救援したため、戦時には中国からの救援期待していた。小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから、親分である中国自分守ってもらおうとするわけですね」と述べている。 しかしながら1866年フランス人宣教師を含むキリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)は報復としてフランス軍軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾となり、同年のジェネラル・シャーマン号を焼き討ち事件アメリカ合衆国報復として軍艦5隻総兵力1200艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領行われる辛未洋擾という事態を招いた

※この「朝鮮における攘夷高揚」の解説は、「日朝修好条規」の解説の一部です。
「朝鮮における攘夷高揚」を含む「日朝修好条規」の記事については、「日朝修好条規」の概要を参照ください。

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