朝鮮における社会主義運動と共産党結成準備
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「朝鮮共産党」の記事における「朝鮮における社会主義運動と共産党結成準備」の解説
1919年の三・一独立運動後の朝鮮では、民族運動の高揚に加え、「文化政治」を標榜する朝鮮総督府当局が民族運動の抑圧を一定程度緩和したことも相まって、労働運動・農民運動も活発化した。 1920年4月、張徳秀・車今奉(朝鮮語版)らによって朝鮮労働共済会が結成された。「労働社会の組織と制度の改善」を最終目的として掲げた朝鮮労働共済会は各地に支会を広げ、1921年3月には約1万7000名の会員を擁するに至った。1922年には朝鮮労働共済会から離脱する形で姜達永(朝鮮語版)らによる朝鮮労働連盟会が結成された。同会は「階級的意識による一致団結」を明確に打ち出し、1923年にはメーデーを期してストライキを打った。1924年には167の労働団体と約4万5000名の加入者を抱えた朝鮮労働総同盟が発足した。 インテリ層の間でも思想団体が結成された。主要なものとして、ソウル青年会(朝鮮語版)、北風会(朝鮮語版)、火曜会(朝鮮語版)が挙げられ、これらは朝鮮における社会主義運動のセクトとなった。 ソウル青年会(ソウル派)は1921年に結成された青年運動団体で、金思国、李英(朝鮮語版)、張徳秀らが主要メンバーである。ソウル青年会を母体に社会主義運動のセクトとなったソウル派は、李東輝ら上海派と連絡を持った。その出自からもソウル派は青年運動に対して強い影響力を持ち、1924年には朝鮮青年総同盟を結成している。ソウル派はその後の朝鮮共産党の歴史の中で主流とはならなかったが、活動家のうち崔昌益が中国亡命を経て戦後に北朝鮮の高官となっている(のち粛清)。 北風会は、1922年に朝鮮に帰国した金若水(朝鮮語版)が北星会を基盤につくった組織である。1924年にはソウル青年会と北風会の社会主義者を中心に、労働者・農民組織として朝鮮労農同盟が結成されている。 火曜会(火曜派)は1923年に「新思想研究会」として発足したもので、1924年に「火曜会」に改称した。イルクーツク派の影響の強い団体であり、1923年頃に朝鮮に帰国した金在鳳・朴憲永らが火曜会に加入している。また、日本留学から帰国した曺奉岩も参加している。会員にはほかに金燦、金丹冶(朝鮮語版)がいた。火曜派は各種団体に影響力を及ぼしつつ、北風会系と連携して共産党の結成を準備した。
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