南北国時代の問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 21:25 UTC 版)
渤海と新羅は同民族や政権ではない。渤海は698年に靺鞨の故地に建国され、新羅は韓族を主体として主に朝鮮南部に存在した。渤海は新羅から分離したのではなく、その建国も新羅とは無関係である。靺鞨の国家は、三韓の末裔が建立した新羅の民族とは全く異なっており、渤海と新羅の対峙は一つの統一体が二つに分裂したものではない。 渤海と新羅は同民族や政権ではないゆえに、元の統一体の継承と発展ということも、 元の統一体と同じ制度を行ったということもできず、それぞれが自らの制度を行ったのみである。渤海と新羅の制度や体制における差異は明らかである。 渤海と新羅は二つの完全に異なる民族政権である。渤海の主体民族は靺鞨であり、新羅の主体民族は韓族である。ゆえに、『旧唐書』と『新唐書』四夷伝において、一つは『北狄伝』に、もう一つは『東狄伝』に書かれており、異なる民族として取り扱われた。 渤海と新羅の住民と民族的構成は完全に異なる。新羅の民族は相対的に単一であり、韓族が支配民族であると同時に主体民族であり、人数も最多である。渤海の民族構成は、靺鞨が支配民族であり、また主体民族でもあり、人数は全人口の半分以上を占めていた。 渤海と新羅の敵対は異なる民族と国家間の闘争であり、双方の戦争は統一的趣を備えていなかった。渤海が契丹によって滅ぼされてから長い年月の後、新羅、高麗、李氏朝鮮は再び北方の開拓とその少からざる地方を発展ならびに奪取したが、あくまで開拓したのみであり、渤海の故地を統一するという意味合いをそなえていない。
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