南北対立と新離散家族の発生とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 南北対立と新離散家族の発生の意味・解説 

南北対立と新離散家族の発生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:09 UTC 版)

離散家族」の記事における「南北対立と新離散家族の発生」の解説

朝鮮戦争後韓国北朝鮮との厳し対立続いた。その対立の中で、南北分断開始から朝鮮戦争にかけて発生した数と比べる少ないものの、新たな離散家族問題発生し続けた1964年東京オリンピック北朝鮮選手団開催直前不参加)の辛金丹選手韓国から来た実父再会した1971年には日本滞在していた北朝鮮オリンピック選手の韓弼花が韓国在住実兄国際電話再会1990年には札幌開催されアジア冬季競技大会実兄対面果たしている。1972年南北共同声明の後に開始され南北赤十字会談では離散家族身元確認迅速に行い再会進めていくことについて話し合われた。しかし南北意見の差は大きく、全く話し合いまとまらないうちに翌1973年には南北赤十字会談中断してしまった。 その後南北間は断続的に対話続けてきたが、1985年9月2023日に「南北離散家族故郷訪問芸術公演」という形で、初め離散家族再会実現した。これは南北双方赤十字社総裁引率のもと、離散家族芸術団が板門店経由してソウル平壌相互訪問するという内容であった。しかしその後大韓航空機爆破事件などが発生し南北関係も冷え込む時期続いたために訪問一回だけのものに終わった本人自由意志韓国から北朝鮮へ、そして北朝鮮から韓国へ向かう人が現れた。例え北朝鮮天道教青友党第3委員長務めた柳美英などが挙げられる柳美英韓国の元外相である夫の崔徳新とともに韓国から北朝鮮向かい2000年行われた第1回離散家族再会北朝鮮側の代表として韓国残してきた家族再会した1998年大統領就任した金大中南北融和唱えて太陽政策推し進めたそのような中、2000年6月には平壌金正日南北首脳会談行い南北共同宣言発表した宣言には離散家族再会進めることが挙げられており、2000年8月第1回離散家族再会ソウル平壌行われることになった。そしてより深刻な問題として北朝鮮による拉致によって連れ去られ韓国人存在がある。代表的な事件としては大韓航空機YS-11ハイジャック事件がある。この事件被害者のうち、11名の乗員乗客北朝鮮抑留されたまま韓国帰ってくることがなく、客室乗務員のうちの一名2001年第3回離散家族再会母親再会したまた、1987年黄海操業中に北朝鮮側に拉致され漁船トンジン号の乗組員も、第2回第8回第9回第12回第13回離散家族再会韓国側家族再会をした。2006年6月第14回離散家族再会では、1978年8月拉致され韓国人で、日本人拉致被害者元夫である人物が母と姉に再会したことが話題となった。 また最近北朝鮮経済深刻化多く脱北者生み出しており、今後新たな離散家族問題として浮上してくるものと考えられている。 前述国軍捕虜問題北朝鮮による拉致被害者離散家族問題として一括りにすることについては、韓国国内でも批判集まっているが、対北朝鮮宥和政策である太陽政策進めている現在の韓国政府は特に問題視はしておらず、離散家族再会でも他の離散家族同じような形で家族との再会果たしている。一方北朝鮮側は国軍捕虜拉致被害による離散家族問題の発生を現在も否定しており、あくまで本人自由意志事故北朝鮮へ渡ったものと主張している。 2000年8月以降離散家族再会定期的に行われている。離散家族再会韓国側北朝鮮側がそれぞれ選抜した候補者リスト交換し親族安否確認の上面会者決定する方式とっている。韓国側場合希望者が多くコンピューター抽選でまず参加者の3倍程度候補者選抜し、その中から健康状態など考慮して候補者リスト載せる離散家族決定している。 2001年2月第3回までは離散家族ソウル平壌相互訪問する形で行われてきたが、2002年4月5月にかけて行われた第4回離散家族再会以降韓国現代グループ観光事業行っている北朝鮮金剛山実施されるようになった金剛山では現在、離散家族常設面会場の建設進められており、離散家族再会事業定例化と常設面会場の建設韓国北朝鮮との融和象徴として評価されている。 しかし離散家族再会事業でも時々南北間のトラブル発生する2005年11月行われた第12回離散家族再会では、北朝鮮拉致されたトンジン号の乗組員韓国側家族再会したが、その際拉致被害者親族再会した報道した韓国側報道陣に対して北朝鮮側が放送送信取材阻止するなどといった行為に出た同じようトラブル2006年3月第13回離散家族再会でも発生し、このときは韓国側取材陣が抗議のため取材中断して韓国へ撤収する事態となった。 また2005年8月からは、映像中継による離散家族再会が行われるようになった。これは韓国北朝鮮会場光ケーブルで結び、映像を見ながら離散家族同士対面を行うという方法行われている。実際に親族会えわけではないという問題はあるが、離散家族再会金剛山まで行かねばならず高齢離散家族には負担大きい点と、一回多く離散家族顔合わせが可能であることから最近はこの方法もよく実施されている。 2006年7月北朝鮮によるミサイル発射後に行われた第19回南北閣僚級会談の席で、北朝鮮側が要求した米と肥料支援凍結したとして、朝鮮赤十字社7月19日中止通告した。この結果金剛山進められてきた離散家族面会場の建設中断されることになった。これはミサイル問題北朝鮮対す国際的非難が高まる中、韓国政府を揺さぶる意図があると見られるが、人道問題あるべき離散家族再会事業このように露骨に政治利用をするやり方に、韓国国内でも非難高まっている。 2007年入り韓国北朝鮮との関係がやや好転し3月初め第20回南北閣僚級会談結果離散家族再会事業再開されることになった。そして3月末には映像再会復活し5月には離散家族再会11か月ぶりに金剛山実施された。 2019年には、2018年離散家族面会場所にも使われていた金剛山内の韓国施設撤去することが決まった

※この「南北対立と新離散家族の発生」の解説は、「離散家族」の解説の一部です。
「南北対立と新離散家族の発生」を含む「離散家族」の記事については、「離散家族」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「南北対立と新離散家族の発生」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南北対立と新離散家族の発生」の関連用語

1
12% |||||

南北対立と新離散家族の発生のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南北対立と新離散家族の発生のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの離散家族 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS