南北戦争 1861年-1865年
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「バージニア州の歴史」の記事における「南北戦争 1861年-1865年」の解説
詳細は「南北戦争」を参照 バージニア州では南部の6州が合衆国から脱退し1861年2月4日にアメリカ連合国を形成した後で、2月13日に脱退に関する会議を始めた。この会議は2ヶ月近くも熟考を重ねたが、サムター要塞の銃声に反応した4月15日、リンカーンはまだ合衆国に残っている全ての州に軍隊を要求した。4月17日、会議は脱退を評決した。バージニア州がアメリカ連合国に加わると、連合国の首都がアラバマ州モンゴメリーからリッチモンドに移されることが5月6日にきまり、5月29日には法制化された。バージニア州は5月23日に脱退規約を批准した。翌日、北軍が北バージニアに入り、戦闘無しにアレクサンドリアを占領した。 南北戦争で最初の大きな戦闘は1861年7月21日に起こった。北軍はマナサスの鉄道中継点を物資の供給線としてつかうために支配しようとしたが、南軍が鉄道を使って軍隊を動かし北軍と会した。南軍は第一次マナサスの戦い(北部では第一次ブルランの戦い)で勝利し、その年の後半は大きな戦いも無く過ぎた。 最初と最後の重要な戦いがバージニア州で行われた。最初のものはマナサスの戦いであり、最後のものはアポマトックス・コートハウスの戦いであった。南北戦争の間、リッチモンドはアメリカ連合国の首都であった。州議会議事堂から数ブロック北に連合国のホワイトハウスがあり、ジェファーソン・デイヴィス大統領の家族が住んだ。 1865年4月、リッチモンドは撤退する南軍によって焼かれ、北軍の支配下に入った。バージニア州はレコンストラクション(1865-1870)の間、ジョン・マカリスター・スコフィールド将軍の下で第一軍自治区として管理された。1870年1月26日に正式に合衆国に復帰した。
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