ノースカロライナ海岸 (1861年-1865年)
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「東部戦線 (南北戦争)」の記事における「ノースカロライナ海岸 (1861年-1865年)」の解説
ノースカロライナ州は、ウィルミントンに死活に関わる海港があり、またアウターバンクスは北軍の海上封鎖を逃れるための貴重な海軍基地であったので、南軍にとって重要な地域であった。北軍のベンジャミン・バトラー少将はモンロー砦から回航して、1861年8月、ハッテラス入り江砲台の戦いで砦を捕獲した。1862年2月、アンブローズ・バーンサイド准将がやはりモンロー砦から水陸両用の遠征隊を組織し、ロアノーク島を占領した。このことはあまり知られていないが、北軍の戦略にとって重要なものであった。1862年遅くのゴールズボロ遠征隊は、海岸から内陸部に侵攻して鉄道線路や橋を破壊した。 ノースカロライナ海岸でのその後の作戦抗争は1864年遅くに始まり、ベンジャミン・バトラーとデイビッド・ポーターが共にウィルミントンの海港を守っているフィッシャー砦の占領に失敗した。1865年1月に、アルフレッド・テリー、アデルバート・エイムズおよびポーターによる第二次フィッシャー砦の戦いで、ブラクストン・ブラッグ将軍を打ち負かし、2月にはウィルミントンを陥落させた。この時期に、西部戦線のウィリアム・シャーマン少将率いる部隊がカロライナの内陸部に侵攻し、1865年4月遅くにジョセフ・ジョンストン将軍指揮下の南軍の最後の野戦部隊を降伏させた。
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