ノースカロライナ植民地への移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/01 01:10 UTC 版)
「フローラ・マクドナルド」の記事における「ノースカロライナ植民地への移住」の解説
アラン・マクドナルドは1756年から1763年までの七年戦争で第114歩兵連隊(英語版)と第62歩兵連隊(英語版)に所属して戦った。一方で商売には弱く、地代について氏族長ともめた末、1774年に妻フローラとともにノースカロライナ植民地のアンソン郡に移住した。2人はマウンテン・クリーク(Mountain Creek)近くの「キリグレイ」(Killegray)という地所に居を構えた。1775年にアメリカ独立戦争が勃発すると、アランは王党派のノースカロライナ民兵隊に「アンソン大隊」(Anson Battalion、約1千人)と呼ばれる大隊を招集、息子のアレクサンダーとジェームズも入隊した。イギリスの輸送船からの物資を受け取るために海岸に向かうこととなったが、その途中の1776年2月28日にアメリカ軍の襲撃を受け(ムーアズクリーク橋の戦い)、アランが捕虜になった。 1777年4月、ノースカロライナ植民地会議(英語版)は王党派の財産を没収し、フローラも全財産を失ってキリグレイから追われた。夫アランは18か月間の捕虜生活を経て1777年9月に釈放された後、ノバスコシアのフォート・エドワード(英語版)で第84歩兵連隊(英語版)の隊長を務めることとなり、フローラは1778年8月にアランと合流した。
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