アメリカ軍の襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 10:26 UTC 版)
夜間のうちに4隻の潜水艦は別れていた。9月16日11時25分、アセンション島の秘密航空基地から発進したアメリカ陸軍航空軍所属のB-24爆撃機がU-156を発見した。この時、U-156は甲板に赤十字旗を掲げて航行していた。ハルテンシュタインはB-24のパイロットに対し、モールス信号および英語で支援を要請する通信を行った。また、イギリス軍の士官がB-24に対して次のような通信を行っている。 ドイツ潜水艦より英空軍士官が通信する。ラコニア号生存者が乗艦中。兵士、市民、女性、子供。RAF officer speaking from German submarine, Laconia survivors on board, soldiers, civilians, women, children. パイロットのジェイムズ・D・ハーデン少尉(James D. Harden)はこれらに応答せず、一度旋回して所属基地に状況の報告を行った。この日の当直士官だったロバート・C・リチャードソン三世(英語版)大尉はB-24に対して「潜水艦を撃沈せよ」(sink the sub)と命じた。リチャードソンはドイツ軍が赤十字旗のもと救助活動を行っていた事実を把握していなかったと主張している。主張の要点は以下のようなものだった。 当時の戦時国際法において、戦闘艦が赤十字旗を掲げることは認められていないと考えていた。 イギリス軍が現場に派遣した連合国側貨物船2隻がUボートに攻撃されるのではないかと恐れていた。 Uボートはイタリア人捕虜のみを救助したと考えていた。 彼自身が行った戦略的評価において、Uボートがアセンション島の秘密航空基地および燃料集積所を発見・砲撃した場合、エジプトのイギリス軍やロシアのソ連軍に対する連合国軍側の物資空輸が致命的な打撃を受けると思われた。 命令を受けたハーデンは引き返し、12時32分から爆弾および爆雷を用いた攻撃を開始した。そのうち1発は曳航中の救命ボートに直撃して数十名の生存者を殺害し、甲板上にいた者も負傷した。ハルテンシュタインはまだ浮かんでいた救命ボートを切り離し、甲板上にいた生存者に海に飛び込むよう命じた。彼らに海に飛び込み退避する時間を与えるため、U-156は時間を掛けてゆっくりと潜行した。ハーデンの報告によれば、潜水艦に対する攻撃は4度行われた。そのうち3回は爆雷および爆弾の投下に失敗していたが、4度目には2発の爆弾が投下された。 潜水艦は転覆し、最後にはひっくり返っていた。乗員は艦を放棄し、救命ボートの周りに集まっていた。 - ジェイムズ・D・ハーデン少尉The sub rolled over and was last seen bottom up. Crew had abandoned ship and taken to surrounding lifeboats. ハルテンシュタインはフランス船舶の到着を待つようにと伝えていたが、生存者らを載せた2隻の救命ボートはアフリカへと向かった。このうち1隻には68人が乗り込んでいたが、27日後にアフリカへ到達した時には16人しか生き残っていなかった。もう1隻は40日後にイギリスのトロール船に救助されたが、52人乗り込んでいた生存者のうち、生き残っていたのはわずか4人だった。リチャードソンによる命令は、「"一見したところでの"戦争犯罪」(prima facie war crime)と考えられている。戦時国際法において、潜水艦を含む艦船が救助活動に従事する場合、攻撃されない権利があるとされているためである。
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