北朝鮮における渤海研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:19 UTC 版)
「渤海 (国)」の記事における「北朝鮮における渤海研究」の解説
北朝鮮で1991年に出版された『조선전사5』(中世編)には、タイトルが「渤海と後期新羅」とされている。 渤海は高句麗を継承した国であり、7世紀末から10世紀初めに至る時期に朝鮮史の発展に大きな役割を果たした。渤海は高句麗遺民たちによって昔の高句麗の地に建てられた強力な主権国家であり、高句麗文化を継承発展させ、我が国の北方諸国からの侵入を防ぎ、国と民族の安全を確保するために大きな貢献をした。...朝鮮史において、渤海は南の後期新羅と長い間共存しながら民族史の発展の新たな時期を飾った。 — 조선전사 5、발해 및후기신라、과학백과사전종합출판사 전영률(朝鮮社会科学院歴史研究所所長)は、以下のように述べている。 新羅支配層が外勢(唐)を引き込んで、高句麗と百済を滅亡させた。高句麗領土の北部は唐の支配下に置かれた。新羅は朝鮮半島の大同江以南のみ支配しただけだ。高句麗の故地には、高句麗遺民が靺鞨族と一緒に高句麗の武将である大祚栄の指揮のもと渤海国(698〜926年)を立てた。...したがって新羅は統一国家ではなく、国土の南部に輝いた朝鮮の地域王朝に過ぎず、私たちの歴史の最初の統一国家は高麗ということが科学的に明らかになった。 — 전영률 전영률(朝鮮社会科学院歴史研究所所長)は、新羅を朝鮮の歴史における統一国家と主張することは、事実上、渤海を朝鮮の歴史から引き離すものであり、「新羅中心説」「新羅正統説」を主張することは、南朝鮮傀儡(韓国)の売国的な「北進統一」にいくつかの歴史的根拠を提供する御用行為と批判している。これに対して金東宇(朝鮮語: 김동우、国立春川博物館(英語版))は、「南北国時代」という時代区分を採用するのは、高句麗を継承した北の渤海と南の新羅が互いに存在することを認めることから始まっており、いずれかの国を卑下しては「南北国時代」という時代区分が成立しないと批判している。 北朝鮮の中学歴史教科書『朝鮮歴史』(2002年)には、「渤海は高句麗を忘れることができない遺民によって唐の妨害にもかかわらず、再び高句麗再建に成功した」と記述しており、ただの一言も靺鞨族の存在に言及せず、ただ高句麗遺民が渤海を建国したと記述している。 위대한 령도자 김정일원수님께서는 다음과 같이 말씀하시었습니다.《발해는 고구려를 계승한 나라로서 7세기 말부터 10세기 초에 이르는 시기에우리 나라 력사발전에 커다란 역할을 하였다》…반만년의 유구한 우리나라 력사에는 《해동성국》으로 그이름을 떨친 발해 봉건국가가 있었다. 발해는 고구려를 계승한 나라로써 7세기 말부터 10세기 초에 이르는 시기에 우리나라 력사 발전에서 커다란 역할을 하였다…고구려에 침입한 당나라 침략자들은고구려 인민들의 항전 력량을 분산시키기 위하여 많은 사람들을 료하서쪽 지방으로 이주시켰다.나라와 민족을 사랑하였던 정신이 강하였던 고구려 사람들은 늘고국을 잊지 않았으며 언제든지 당나라 침략자들을 몰아내고 새 국가를 세울 결심을 가지고 있었다…대조영은 각지에서 벌어지던 고구려 유민들의 투쟁을 하나로련합하여 당나라 세력을 완전히 몰아 내었다.그리고 698년에 《발해》라는 나라를 세웠다.발해가 서게 됨으로써 고구려 사람들은 다시 옛 땅에서 자기의 주권을가지고 생활을 창조해 나갈 수 있게 되었다.발해는 고구려를 계승한 나라로서 고구려 사람들의 상무적 기풍과 발전된 문화를 이어 받아 강력한 봉건국가로 발전하는 길에 들어서게 되었다.偉大なる指導者金正日元帥様は、次のように仰いました。「渤海は高句麗を継承した国家であり、7世紀末から10世紀初めに至る時期に朝鮮の歴史の発展に大きな役割を果たした」…半万年の悠久の朝鮮の歴史には「海東の盛国」としてその名を馳せた渤海封建国家があった。渤海は高句麗を継承した国家として、7世紀末から10世紀初めに至る時期に朝鮮の歴史の発展に大きな役割を果たした。高句麗に侵攻した唐の侵略者は、高句麗人の抗戦勢力を分散させるために多くの高句麗人を遼河の西側地方に移住させた。国家と民族を愛する精神の強かった高句麗人は故国を忘れず、常に唐の侵略者を追い出し、新たな国家を建国する決心をしていた。大祚栄は各地でおこなわれていた高句麗遺民の闘争を一つにまとめ、唐の勢力を完全に追い出した。そして、698年に「渤海」という国家を建国した。渤海が建国することにより、高句麗人は再び昔の地で自らの主権をもった生活を創造することができるようになった。渤海は高句麗を継承した国家として高句麗人の尚武の気風と文化を継承して、強力な封建国家に発展した。 — 조선력사、p58 北朝鮮の『社会科学学報』(2006年8月25日)には高句麗と渤海に関する次のような内容が掲載されている。即ち「高句麗はまた、自国の先進的な制度と技術、文化を同民族の国々に伝えることで、その社会発展を促進させるうえでも中心的な地位を占めた。このような地位と役割は古朝鮮のものを継承·発展させ、渤海は高句麗の歴史的地位と役割を継承した国家となったのである」とあるが、これは北朝鮮地域が民族史の正統性を占めていると主張しているとみられる。 古畑徹は、北朝鮮学界の渤海研究を「北朝鮮の高句麗・渤海研究が高句麗・渤海が中国史ではないという点のみに集中し、論証が自己撞着に陥り、学問的に非常に低い水準となってしまっている」と評している。 金東宇(朝鮮語: 김동우、国立春川博物館(英語版))は、北朝鮮の渤海研究は、高句麗継承性に関する偏向を示しており、それは1980年代から主体思想の確立に伴う政治的見解に基づいて研究を行ったからであり、渤海の高句麗継承性を論証していく過程で、多くの無理を犯しており、渤海史の具体的な内容と史料批判などがこの時期に下るほど疎かになっており、渤海の住民構成、渤海の建国時期、建築・墓・音楽・工芸など渤海文化の高句麗継承性だけの過度な強調、渤海から高麗王朝への歴史継承の無理な代入、渤海彊域と関連する論証、歴史上における渤海の存在の行き過ぎた格上げ及び恣意的解釈がみられ、さらに、北朝鮮の領土は渤海の領域を占めているため渤海遺跡があるが、政治的目的のために考古学の偏向調査を行ったのではないかという疑問がある、と述べている。
※この「北朝鮮における渤海研究」の解説は、「渤海 (国)」の解説の一部です。
「北朝鮮における渤海研究」を含む「渤海 (国)」の記事については、「渤海 (国)」の概要を参照ください。
- 北朝鮮における渤海研究のページへのリンク