植民史観(しょくみんしかん、식민사관)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 13:50 UTC 版)
「朝鮮の歴史観」の記事における「植民史観(しょくみんしかん、식민사관)」の解説
日本統治時代に内地で主流だったとされている歴史認識である。これを植民地支配を正当化する目的で作ったものであるとして批判する側からは植民地史観(しょくみんちしかん)とも。 主に問題とされるのは、満鮮史観、日鮮同祖論、他律性論、停滞性論、党派性論などである。 2016年に漢陽大学で催された、日本人研究者の植民史観に関する学術会議において、박찬흥(国会図書館調査官)は、池内宏の漢四郡と高句麗の歴史研究を分析し、池内宏は漢四郡を「小さな中国」として認識し、高句麗は満州民族の一つである濊貊が建国したとみており、漢四郡と高句麗との葛藤は、中国と満州民族間の対立であり、高句麗が漢四郡を駆逐したことを満州民族が中国勢力を駆逐したものと解釈し、さらに、日本は任那日本府を通じて百済を後援しながら高句麗や唐に対抗したと主張しており、「池内宏は古代朝鮮史を中国、満州、日本の大国間の角逐の場とみる『他律性史観』に帰結させ、中国と日本の大国間の対立を浮き彫りにした」と批判した。 정준영(ソウル大学)は、今西龍の楽浪郡研究を分析し、今西龍の楽浪郡研究は「古代日本と中国の文化交流を説明する朝鮮半島の朝鮮人が文化伝播の仲介の役割をしたとみなければならないため、朝鮮半島を通じた文化交流を説明しながらも、日本の主体性を放棄したくないために登場したのが楽浪郡を中心とした漢四郡の研究であった」と分析し、朝鮮半島に漢四郡が存在することで、中国文化が伝播する過程において、朝鮮人を排除することができ、「今西龍は、中国の影響は、単純に外圧にとどまるのではなく、朝鮮内に中国が内面化されたものだと主張し、『中国を取り除ける過程』を『日本民族になる過程』と合理化した」と指摘した。
※この「植民史観(しょくみんしかん、식민사관)」の解説は、「朝鮮の歴史観」の解説の一部です。
「植民史観(しょくみんしかん、식민사관)」を含む「朝鮮の歴史観」の記事については、「朝鮮の歴史観」の概要を参照ください。
- 植民史観のページへのリンク