林泰輔と朝鮮史研究
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池明観は、林の朝鮮史研究を植民史観(朝鮮語版)と批判している。それによると、「朝鮮ハ国ヲ建ルコト尤尚シ。然レドモ其疆域支那ニ接近スルニ由テ常ニ其牽制ヲ受ケ支那人或ハ来リテ王ト為リ或ハ其地ヲ以テ郡県トナシ又本国人ノ王タル者モ大抵支那ニ於テ封爵ヲ受ケ朝貢ヲ勤メ事大ノ礼ヲ修メザル者其鮮シ。是ヲ以テ之ヲ観レバ朝鮮ハ殆ド支那ノ属国タルモノ、如シ。」と記述しており、箕子朝鮮は「昔殷ノ亡ブルニ当リテ箕子避テ朝鮮ニ王トナリ…千有余年間ハ皆支那人ノ制スル所ト為ル」「箕子中国ノ五千人ヲ率ヰテ地ヲ朝鮮ニ避ケ平壌ニ都ス。其民ヲ導クニ徳化ヲ以テシ礼譲ノ風漸ク行ハレ朝鮮是ニ於テ始テ興ル」と記しており、元代は「其制圧ヲ受ルコト」甚だしく、明代は「国王ノ代立ニハ必ズ其冊命」を受け、清代は「歴世臣事怠ルコト」がなく、李氏朝鮮は「然レドモ王ト称シテ帝ト称セズ薨ト称シテ崩ト称セズ臣下ノ其君ニ於ル殿下ト称シテ陛下ト称セズ。蓋支那ニ対シテ一等ヲ降シテ王国ノ礼ヲ用ヒシナリ。年号ノ如キモ歴朝大抵支那ノ制ニ従フ。而シテ現今支那帝ノ朝鮮王ヲ遇スルノ礼ハ兵部尚書ノ位階ニ準ズト云フ。其交際ノ関係ニ於ル此ノ如シ。豈真ノ独立国ト為スニ足ンヤ。」と描いている。
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