林泉文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 11:32 UTC 版)
伊佐早は米沢図書館館長として郷土の貴重書の保全に務めたほか、個人邸にも米沢藩関連の古典籍・古文書を収集した。伊佐早の書屋は米沢市林泉寺町にあったので、伊佐早のコレクションは「林泉文庫」と呼ばれる。伊佐早の没後は遺言に従い林泉文庫は上杉家に寄贈された。 昭和13年(1938年)に米沢図書館がこの蔵書を管理するようになったが、昭和28年(1953年)以降、米沢図書館・瑞龍院龍門図書館(山形県白鷹町)・山形県立米沢女子短期大学・山形大学がコレクションを分割し購入した。この史料の中からは戦国時代の山形城主最上義光に関する古文書・古記録も発見されている。 最後の米沢藩主となった上杉茂憲が明治時代に沖縄県令を務めたことから、伊佐早は大正13年(1924年)に沖縄に赴き、上杉茂憲が関わった文献史料を大量に持ち帰った。沖縄では、第二次世界大戦の沖縄戦によって歴史史料数万点が焼失したが、蔡大鼎や林世功といった琉球王国関係の貴重史料類を伊佐早が山形に移していたことで現代に伝えられることになった。
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