植民と開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 01:32 UTC 版)
詳細は「アイスランド入植(英語版)」および「アイスランド共和国 (中世)」を参照 初めてここで越冬したのはヴァイキングのインゴールヴル・アルナルソンだと言われている。なお、『植民の書』によれば、彼に先だってアイスランドを発見した人が「氷の島」と呼んだのが国名の由来とされる。 全島の調整機関として世界最古の近代議会とも言われるアルシングが創設され植民は終了した。初期のアイスランドは定住地域ごとに自治が行われ、国王の君臨する他のヨーロッパの国とは異なっていた。アルシングの集会はシンクヴェトリルにおいて各夏に2週間にかけて招集された。そこでゴジと呼ばれる指導者は、法律を改正したり、論争を解決したり、訴訟に判決を下すために陪審員を任命した。法律は文書化されなかったが、その代わりに、選ばれた「法の宣言者(英語版)」(lögsögumaður)によって記憶された。中心的な行政上の権力がなかったことから、法律はただ人々によって施行されていた。このことが血讐を招き、アイスランド人のサガ(英語版)の作者に多くの題材を提供した。 アルシングでは商業的な取引も行われ、ゴジが交易地の治安維持や価格設定を行った。価値尺度には銀が秤量貨幣となり、実際の支払いにはヴァズマールという自家製の羊毛布を主に用いた。外国商人は越冬する際に農場で生活し、主人の保護を受ける代わりに農作業や戦闘を手伝う互酬関係をもった。互酬は結婚、葬儀、祭日の贈り物でも重要とされ、社会的地位を保つために返礼が行われた。返礼には武力支援や詩作も含まれた。 985年、赤毛のエイリークがグリーンランドを発見し、グリーンランドへの植民が行われた。992年(実際は1000年頃)にエイリークの息子であるレイフ・エリクソンが北米に渡る。以後、僅かではあるが北米への植民が行なわれた。その時代からの定住地が南西グリーンランドとカナダ東部で見つかった。『赤毛のエイリークのサガ』や『グリーンランド人のサガ』といったサガが移民の功績を伝えている。
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