ウィルダネス (自然文化)
(原生地域 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/11 14:41 UTC 版)
| wilderness | |
|---|---|
| 人の手が大きく加わっていない原始・原生の自然地域。またはその文化的概念。 | |
| 基本情報 | |
| 英語名 | wilderness |
| 日本語訳(不定) | 原始林、荒野、原野、原生自然、原生領域、手つかずの自然、他 |
| 語源 | 古英語 wildēornes(野獣の住む場所) |
| IUCNカテゴリ | カテゴリIb(wilderness地域) |
| 主な保護法 | ウィルダネス法(1964年、米国) |
| 関連概念 | 自然保護、生態系サービス、生物多様性 |
ウィルダネス(英語: wilderness)とは、人間活動によって著しく改変されていない地球上の自然環境、または広範な農業利用下にない非都市的土地を指す概念である[1]。この語は伝統的に陸上環境を指すが、近年は海洋ウィルダネスへの関心も高まっている。また物質的以外に、文化的などの広く深い意味を内包する用語である。
概要
ウィルダネスは、単なる地理的・生態学的な意味にとどまらない。文化・哲学・法律・環境倫理など幅広い文脈で用いられる多義的な概念である[2]。
研究者らによると、地球の陸地面積(南極を除く)のうちウィルダネスと見なせる地域は約23パーセントにとどまり、しかも急速に縮小しつつある[3]。残存するウィルダネスの大部分は北米・アジアの北方林、乾燥地帯のオーストラリア、北アフリカ、中央アジアに集中しており、その70パーセント以上をロシア・カナダ・オーストラリア・アメリカ合衆国・ブラジルの5カ国が占める[4]。
コンサベーション・インターナショナル(Conservation International)による"Wilderness: Earth's Last Wild Places"という書籍では、原生地域を、本来の植生が70%以上の地域で残っており、10,000 km2以上の広さがあり、人口密度が5人/km2以下の地域と定義している。そして、この定義によれば、地球上の46%が原生地域にあたるとされる。
語源
White Goat Wilderness Area
「wilderness」の語源は、古英語の「wildēornes」(野生の獣の住処)に由来する。この語の意味は「人が踏み込まない荒れた土地」と変化した。西欧の文化・宗教的伝統では人間文明と対置される恐るべき場所として長らく認識されてきた[5]。
ヨーロッパから北アメリカ大陸への植民と開拓において自然環境の表現に使われた。西部開拓時代にはアメリカ先住民の土地を未開拓の地として定義し、侵略を正当化する概念としてもウィルダネスが利用された。
しかし、その後アメリカ合衆国ではウィルダネスは守るべきものとの考えが広まり、ウィルダネス法 (Wilderness Act)(1964年)が制定され、「風景に人や人工物が介在せず、大地と生命のコミュニティが人によって拘束されていない地域」と定義された[6]。法律に基づいて原生地域が指定され、国立公園など保護の対象となっている。
定義
ウィルダネスの定義は文脈によって、多義的な側面がある。
- 米国連邦法上の定義
- 1964年に制定されたウィルダネス法(Wilderness Act of 1964)は、世界で初めてウィルダネスに法律上の定義を与えた。同法はウィルダネスを「人とその所産が景観を支配するような地域とは対照的に、大地と生命のコミュニティが人に束縛されることなく、人自身は滞在せず訪れるのみであると認識される地域」と定義している[7]。
- IUCNによる定義
- 国際自然保護連合(IUCN)は保護地域カテゴリIb(wilderness地域)を「恒久的または重大な人間居住なしに、その自然の特性と影響を保持した大規模な未改変もしくはわずかに改変された地域であって、自然状態を保全するために保護・管理されるもの」と定義している[8]。
- 文化・哲学的概念としての定義
- ネイチャーライティングから発展した環境文学・エコクリティシズムの批評的文脈では、「ウィルダネスは物理的空間のそれよりも広い意味空間を持ち、人間の内面が投影された社会的・文化的な概念も含む」としている[9]。
思想・哲学的背景
西洋における「ウィルダネス」観の変遷
キリスト教の伝統において、ウィルダネスは神が人類に与えた試練の場、あるいは罪を背負わされた「贖罪の山羊」が送り出される場として描かれてきた[10]。
ヨーロッパから北米大陸へ渡った入植者たちは当初、ウィルダネスを「征服すべき敵」として位置づけ、開拓と自然の破壊を神の与えた使命とみなした[11]。
しかし19世紀に入ると、こうした態度は大きく変化した。アメリカの思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンらが創始した超越主義(Transcendentalism)は、自然と神聖なるものとの直接的な交感を重視し、ウィルダネスを精神的・哲学的探求の場として捉え直した[12]。
ソロー、ミューア、レオポルド
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)は「野生のなかにこそ世界の保全がある(In wildness is the preservation of the world)」という言葉を残し、都市文明と対置された自然の哲学的・知的価値を強調した[13]。ソローにとってウィルダネスは、人間精神の本質を問いただす思索の場であった。
ジョン・ミューア(John Muir)はソローの思想をさらに発展させ、「ウィルダネスを精神的再生の源泉・神聖な大聖堂」として描写し、カリフォルニアの巨木やヨセミテ渓谷の保護を訴えた。シエラクラブ(Sierra Club)の創設会長として国立公園制度の推進に力を注ぎ、連邦政府による保護なくして例外的な自然地域を破壊から守ることはできないと確信していた[14]。
アルド・レオポルド(Aldo Leopold)は1949年に刊行した『サンド・カウンティ年報』(A Sand County Almanac)において「土地倫理(land ethic)」の概念を提唱した。「あることが生物共同体の完全性・安定性・美を保全する傾向があれば正しく、そうでなければ誤りである」という命題は、ウィルダネスの保護を経済的利益の枠を超えた倫理的義務として位置づける思想的基盤となった[15]。
批評的考察
歴史家ロデリック・ナッシュ(Roderick Nash)は1967年の著書 Wilderness and the American Mind において、ウィルダネスは「人の心が産み出した精神的文化的な構築物」と批評し、アメリカのウィルダネス観の歴史的変遷を体系的に論じた[16]。
環境史家ウィリアム・クロノン(William Cronon)らは、北米の「原生自然」は先住民族による数千年にわたる管理・利用されていたことを指摘し、「手つかずのウィルダネス」は「入植者視点での神話」と批評した[17]。こうした批評は、先住民族の知恵を保護政策に統合する議論にもつながっている。
芸術におけるウィルダネス
初期のアメリカ文学においてウィルダネスは重要な概念とされ、ネイチャーライティングなどのジャンルではウィルダネスに着目した作品がある[18]。ラルフ・ウォルドー・エマーソンは著作の「自然論」(1836年)や「アメリカの学者」(1837年)で、アメリカ大陸の自然を独自の文芸素材だと解釈した。ジョン・ミューアはカリフォルニア州のヨセミテ渓谷を踏破して自然空間の貴重さを論じた。アルド・レオポルドは生態学的・倫理的な面からウィルダネスを解釈し、著作『野生のうたが聞こえる』(1949年)では自然環境も共同体に含まれるとする土地倫理を提唱した。エドワード・アビーは『砂の楽園』(1968年)において、ウィルダネスが失われたものであると共に保存すべきものであるとして両義的な性質を表現した[19]。
法制度と保護政策
ウィルダネス法(米国、1964年)
アメリカ合衆国の「ウィルダネス法」(Wilderness Act of 1964、公法88-577)は、ウィルダネスに法律上の定義を与え、国家荒野保全制度(National Wilderness Preservation System)を創設した歴史的立法である。ウィルダネス・ソサエティ(The Wilderness Society)の事務局長を務めたハワード・ザーナイザー(Howard Zahniser, 1906–1964)が60以上の草稿と8年の歳月をかけて起草し、リンドン・ジョンソン大統領が1964年9月3日に署名した[20]。
制定当初は約370万ヘクタールを保護対象としたが、2023年時点では806のウィルダネス地域・約4,500万ヘクタールにまで拡大している[21]。 同法はウィルダネス地域内での商業目的の企業活動・恒久的道路の建設・自動車等の動力機械の使用・航空機の着陸・恒久的建造物の設置を原則として禁止しており、人間は「訪問者」としてのみ立ち入ることができる。
IUCNカテゴリIbと国際的保護体制
国際自然保護連合(IUCN)は保護地域管理カテゴリを7段階に分類しており、最も厳格な水準に位置するカテゴリIbが「ウィルダネス地域(Wilderness Area)」に相当する。このカテゴリは、恒久的な人間居住なしに自然の特性を保持した大規模地域を対象とし、自然の状態を維持するための管理のみが許可される[22]。
2025年3月時点の保護地球(Protected Planet)データによれば、陸域・内水面の17.54パーセントおよび海洋の8.45パーセントが保護または保全されているが、30×30目標(2030年までに陸・海の30パーセントを保護区化)の達成に向けては一層の取り組みが求められている[23]。
日本における類似制度
日本において類似の法的制度は、自然環境保全法(1972年)に基づく「原生自然環境保全地域」制度がある。原生状態を保持し一定のまとまりを有する自然地域を指定し、自然の推移に委ねる方針のもと、自然を改変する行為を原則として禁止している[24]。
現在、十勝川源流部・南硫黄島・大井川源流部・屋久島など5地域が指定されており、総面積は約5,600ヘクタールにのぼる[25]。
脚注
出典
- ↑ “Wilderness Act of 1964”. U.S. Fish & Wildlife Service. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “ウィルダネス(wilderness)”. ASLE-Japan 文学・環境学会. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ Watson, J.E.M.; Venter, O. (2021). “Wilderness”. Current Biology 31 (19). doi:10.1016/j.cub.2021.07.041.
- ↑ “Only 23% of the Earth Can Be Considered "Wilderness," Warns Biologist”. Inverse (2018年). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ Nash, Roderick Frazier (2014). Wilderness and the American Mind (5th ed.). Yale University Press. ISBN 978-0-300-19038-0
- ↑ 小谷ほか編 2014, pp. 261–262.
- ↑ “Wilderness Act of 1964”. U.S. Fish & Wildlife Service. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “Wilderness Protected Areas: Management Guidelines for IUCN Category 1b Protected Areas”. IUCN (2016年). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “ウィルダネス(wilderness)”. ASLE-Japan 文学・環境学会. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ Nash, Roderick Frazier (2014). Wilderness and the American Mind (5th ed.). Yale University Press. ISBN 978-0-300-19038-0
- ↑ “The problem with wilderness”. UU World Magazine (2024年). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “American Wilderness Philosophy”. Internet Encyclopedia of Philosophy. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “Thoreau and Muir”. Gale Warner. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “American Wilderness Philosophy”. Internet Encyclopedia of Philosophy. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “A Sand County Almanac”. Sand County Foundation. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ Nash, Roderick Frazier (2014). Wilderness and the American Mind (5th ed.). Yale University Press. ISBN 978-0-300-19038-0
- ↑ “The problem with wilderness”. UU World Magazine (2024年). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ 小谷ほか編 2014, pp. 307–308.
- ↑ 小谷ほか編 2014, p. 262.
- ↑ “Wilderness Act of 1964”. U.S. Fish & Wildlife Service. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “1964: Wilderness Act”. Forest History Society (2017年). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “IUCN Category Ib – Wilderness Area”. Biodiversity A-Z. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “Beyond coverage: strengthening the quality of protected and conserved areas”. UNEP-WCMC (2025年). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “日本の保護区”. 環境省. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ 竹中明夫 (2014). “自然保護区(2014年度 33巻4号)”. 国環研ニュース (国立環境研究所) 33 (4) 2026年6月14日閲覧。.
参考文献
- 小谷一明, 巴山岳人, 結城正美, 豊里真弓, 喜納育 編『文学から環境を考える エコクリティシズムガイドブック』勉誠出版、2014年。
関連項目
外部リンク
原生地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 17:13 UTC 版)
詳細は「原生地域」を参照 原生地域とは、一般に人間の手がほとんど入っていない地域を指す。The WILD Foundation はもっと具体的に「我々の惑星に残された最も手付かずで平穏な野生の自然地域。道路やパイプラインや他の産業基盤とも無縁で、人間の制御下にない本当の野生の場所」としている。原生地域は、自然保護地域、原生林、国立公園、川の周囲や渓谷、未開発地域などにある。原生地域や自然公園は一部の種の保護、生態学的研究、生息地保全といった面で重要である。一部の作家は原生地域が人間の精神や創造性にとっても重要だと信じており、一部の生態学者は原生地域がこの地球の自立した自然な生態系(生物圏)の重要な一部だと考えている。原生地域はまた歴史的な遺伝形質を保持し、動物園や植物園や研究室では再現が困難な野生の植物相や動物相の生息地にもなる。
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