太平洋戦争終盤の行動とは? わかりやすく解説

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太平洋戦争終盤の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:31 UTC 版)

秋風 (駆逐艦)」の記事における「太平洋戦争終盤の行動」の解説

1944年昭和19年1月23日、「秋風」はトラック泊地出撃ラバウル進出して輸送任務従事した2月17日中部太平洋における日本海軍最大拠点トラック泊地は、米軍機部隊艦載機による大規模空襲を受け、停泊していた艦艇地上基地航空隊大損害を受ける(トラック島空襲峯風型では太刀風沈没)。米軍機部隊去ったあと損傷艦退避させることになり、駆逐艦複数隻(秋風藤波春雨途中合流〉)は工作艦明石」、標的艦波勝」を護衛してパラオ泊地むかった。これ以降、「秋風」はパラオトラック泊地サイパン島方面船団護衛任務従事した4月22日、「秋風」はサイパン出発し4月26日横須賀到着続いて舞鶴移動した5月1日、「秋風」(舞鶴鎮守府籍)と「松風」(横須賀鎮守府籍)は佐世保鎮守府転籍した。同時に卯月駆逐艦2隻(卯月夕月)の第30駆逐隊編入され、同隊は駆逐艦4隻(卯月夕月秋風松風となった。第30駆逐隊第三水雷戦隊司令官中川少将)の麾下であった。「秋風」は機動部隊指揮官小沢治三郎海軍中将第一機動艦隊司令長官附属となり、フィリピン方面船団護衛任務従事した。 この時期、第30駆逐隊駆逐艦次々失われた6月9日30僚艦松風」は第3606船団護衛中に米潜水艦ソードフィッシュ」に撃沈される。そこで日本海軍8月20日附で第22駆逐隊解隊し、同隊所属だった駆逐艦2隻(皐月夕凪)を第30駆逐隊編入する。また先のサイパン島地上戦第三水雷戦隊司令部玉砕しており、日本海軍軽巡洋艦五十鈴」と三水戦の残存艦艇、さらに新造松型駆逐艦海防艦をくわえ、連合艦隊隷下第三十一戦隊司令官江戸太郎少将)を新編した。第30駆逐隊卯月夕月秋風皐月夕凪)も第三十一戦隊所属する第三十一戦隊新編から間もない8月25日、「夕凪」は米潜水艦「ピクーダ」に撃沈され、9月21日には「皐月」がマニラ空襲を受け沈没した。第30駆逐隊駆逐艦3隻(卯月夕月秋風編制となった9月26日、「秋風」は佐世保もどった捷一号作戦にともなうレイテ沖海戦では、小沢機動部隊タンカー「仁栄丸」を護衛している。第二補給部隊タンカー〈仁栄丸〉、駆逐艦秋風〉、海防艦31号、43号、132号〉)という編成である。10月24日秋風駆逐艦長指揮下の第二補給部隊は呉を出撃豊後水道南下した10月25日高知県足摺岬沖合で第132海防艦が米潜水艦雷撃され大破船体切断)、呉に引き返した続いて潜水艦スターレット補給部隊襲撃し、「仁栄丸」を撃沈する護衛対象消滅により、連合艦隊海防艦2隻(31号、43号)に台湾へ移動タンカー良栄丸」の護衛命じた

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太平洋戦争終盤の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:55 UTC 版)

旗風 (駆逐艦)」の記事における「太平洋戦争終盤の行動」の解説

詳細は「松輸送」を参照 1944年昭和19年3月1日旗風駆逐艦長岡田静少佐から高柳光大尉に交代同月より松輸送従事した軽巡洋艦夕張旗艦とする第1特設船団司令部司令官伊集院松治少将、後に第1護衛船団司令部改称)が、東松3号船団指揮する東松3号船団護衛艦は、軽巡夕張旗艦)、駆逐艦3隻(旗風玉波)、水雷艇海防艦2隻(平戸能美)、駆潜艇3隻。3月22日船団東京湾から出航28日パラオ行き船団9隻(護衛艦3隻《玉波平戸能美》、輸送船6隻)を分離し船団本隊30日サイパン到着したこの間25日護衛の第54駆潜艇アメリカ潜水艦ポラック雷撃によって撃沈されたが、輸送船被害はなかった。復航船団輸送船4隻と護衛艦6隻で4月3日サイパン出港4月10日横須賀無事に帰還した一方輸送船山陽丸護衛してサイパンよりメレヨン島向かった(第6駆逐隊)は、4月13日潜水艦ハーダーにより撃沈された。 6月18日附で、旗風連合艦隊司令長官豊田副武大将)の指揮下に入る。6月25日附で、第十一水戦隊司令官高間少将)を指揮官とする『伊号輸送部隊』に加わった6月28日、第21駆逐隊司令指揮下の第三輸送隊駆逐艦若葉初春旗風、汐風、夕月》、輸送艦3隻《104号、152号、153号》、輸送船能登丸》)は横須賀出撃6月30日、3隻(旗風、汐風、能登丸)は第三輸送部隊本隊)より遅れて父島小笠原諸島)に到着する第三輸送部隊は、既に硫黄島向かっていた。だが能登丸の荷役遅れたので、駆逐艦2隻(旗風、汐風)は第103輸送艦護衛して硫黄島向かった。第103輸送艦護衛していた第24海防艦は、前日に米潜水艦アーチャーフィッシュ)により撃沈されていたのである7月1日未明、第103輸送艦硫黄島での揚陸成功するが、同島の砂浜で座礁してしまう。護衛の2隻(旗風、汐風)に救助依頼しようとしたが、既に見当たらなかった。第103輸送艦大発動艇により離岸成功した午前9時、2隻(旗風、汐風)は父島に戻る。正午、3隻(旗風、汐風、能登丸)は父島出発7月3日旗風含め第十一水戦隊各艦は横須賀帰投。伊号輸送部隊解散した。だが7月4日米軍機部隊艦載機F6Fヘルキャットロケット砲装備機含む)は父島硫黄島襲撃する硫黄島所在兵力大損害を受ける。また父島近海で第103輸送艦沈没硫黄島130号沈没。同方面残っていた3隻(清霜皐月夕月)は、辛うじて横須賀帰投した。 詳細は「スカベンジャー作戦」を参照 7月下旬から8月上旬にかけて、旗風引続き硫黄島方面輸送任務従事する往路は第3729船団復路は第4208船団改名)。8月4日、第4208船団小笠原出発して横須賀に向かうが、米軍機部隊および水上艦艇部隊指揮官ローレンス・T・デュボース少将)に襲撃され大損害を受ける。松型駆逐艦1番艦第二護衛船団司令官高橋一少将旗艦。艦長吉永少佐)の奮戦により、輸送船全滅したものの、護衛艦4隻(旗風第4号海防艦第12号海防艦、第51号駆潜艇)は生還したスカベンジャー作戦)。

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