太平洋戦争編(第186回〜第225回)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:50 UTC 版)
「おしん」の記事における「太平洋戦争編(第186回〜第225回)」の解説
浩太は加代の住所と100円 をおしんに差し出す。住所を見た竜三は顔を曇らせるが、翌日おしんを送り出す。おしんは東京のたかを訪ねる。懐かしい再会も束の間、所書きをたかに見せると女が一人で行くところではないと言う。たかは健を呼び、加代がいる場所への案内を依頼する。健は加代のいる場末のカフェーを探り当て、加代を出せと店の用心棒に凄むが抵抗に合う。赤子の泣き声が奥から聞こえ、食べ物が欲しいと言いながら加代が階段を降りてくる。店は売春宿で、加代は息子の希望(のぞみ)とこの店に身を寄せていたのだった。 おしんと目があった加代は逃げるが、おしんは加代の部屋へ行く。その間、健は店の男と身請け代の交渉を始める。加代は何も聞かないで黙って帰ってくれとおしんから目を逸らすが、おしんは浩太の100円を加代に渡し、そして清太郎、みのと一緒に伊勢に来て欲しいと説得する。心配はいらないと言いながら加代が押入れを開けるとそこには清太郎とみのの遺骨があった。夜逃げして上京したものの両親はあいついで病死。かつて女給で稼いでいたカフェーでも年齢を理由に雇ってもらえず、みのの入院費のために今の店に500円を前借りしたという。 加代のいる店は最初の借金の利子が雪だるま式に増えて足抜けできなくなる女郎部屋より酷いところだった。出るには1000円という大金が必要だという。おしんは「お加代さまと希望坊ちゃまをここから連れ出せるまでは、毎日まいります」と言い、一旦健と店を辞した。その晩、加代は客の前で大量に酒をあおり、吐いた血をのどに詰まらせ窒息死する。翌日店に来たおしんたちは、加代が死んだことを告げられる。おしんは両親の骨箱と希望を引き取り、加代を荼毘に付す。骨箱の包みの間には浩太から預かってきた100円と加代の手紙があった。手紙には全ては自分の身から出た因果であり、おしんに息子の希望を託したいこと、おしんへの謝意が綴られていた。 おしんは3つの骨壷と加代の忘れ形見の希望を連れ伊勢に帰る。おしんは竜三に独断で3人の骨や希望を連れ帰ったことを詫びるが、竜三は加代の忘れ形見である希望を引き取って自分たちの子供とすることは加賀屋から大恩を受けたおしんにとって、また、二人にとって当然のことであり、八代家の墓を伊勢に建てること、将来加賀屋再興を託したい等、すべてを快く引き受ける。 この年満州事変。竜三は浮足立ち、柳条湖事件を報じる新聞を雄に聞かせる。それを見ておしんは戦争はいけないことだと言うが相手にされず、竜三は雄にこれからは軍人の世の中、そして佐賀の葉隠の話をする。子供を背負って店に出るおしんと竜三は子守を雇うことを考えるが、それを諦め、当時としては高価な氷冷蔵庫と自転車を買う。 ひさが来て昨夜、浩太がひさの下に来たことをおしんに告げる。特高に付け回され疲弊した様子であり、加代・八代家の墓の場所を聞きたがったという。ひさはおしんに浩太に運動を止めるように言って欲しいと哀願する。満州事変をきっかけに浩太のような運動家にはより厳しくなった、特高に捕まったら拷問されて死ぬ目に会うのだとひさはおびえる。おしんは浩太を訪ねる。加代の墓の場所を聞いた浩太は明日墓参りに行くと言う。おしんは浩太に加代の子である希望を見せようと加代の墓で待つが浩太は現れない。墓から離れると浩太の姿が見えた。おしんが希望を抱きかかえて浩太に見せると同時に特高が浩太を捕縛した。おしんが帰宅するとひさが来ていて、浩太が加代の墓参りに出た後に特高が踏み込んできたという。ひさは特高に捕まったらおしまいだと悲嘆。それ以後浩太の消息はなく、4年の歳月が流れる。 東北大凶作の折の昭和10年(1935年)の2月。健が10歳の少女初子を連れ田倉家に立ち寄る。初子は健の山形の遠縁の小作の娘で、健は3年の年季、50円で引き取り、大阪の飛田遊郭へ奉公に出すつもりだという。その夜、健と田倉家に泊まった初子は翌朝幼いながら懸命に台所仕事を手伝う。おしんは初子の姿に自分の奉公時代を重ね、佐賀で死産した愛の生まれ変わりのような気持ちになる。おしんは竜三に初子を引き取りたいと懇願する。二人目の子供を死なせた責任が自分にある竜三に断ることは出来なかった。おしんは健に50円を払い初子を引き取る。 小学校に仁と希望が上がり、初子も4年生として編入させる。おしんと竜三は希望の入学用品に八代希望と書くか、田倉希望と書くか思い悩む。竜三は希望を引き取った時に養子にして田倉の籍に入れておけばよかったと言う。初子は雄の中学受験合格を願い水垢離をする。雄が合格した夜、おしんは希望の持ち物に八代姓を書く。翌朝、おしんは希望と仁にその由縁を打ち明け、八代家の墓に参る。 小学校に入学した希望が早退してもう学校には行かないと言う。仁は希望が学校でもらいっ子、親なしだと言われたと喧嘩して戻ってくる。希望がいなくなり、おしんは探し回る。夜、疲れ切ったおしんが八代家の墓に行くと希望が現れる。おしんはみんな心配していると希望を叱り抱き合う。 仁は我侭。希望はおとなしい。初子は働き者。雄は下の子をよく可愛がる。おしんは子どもたちに同じようにしてるつもりなのに、と思う。おしんは第四子を身ごもる。昭和11年(1936年)二・二六事件の日、おしんは36歳で女の子を出産、禎(てい)と名付ける。おしんは5人の母親になる。昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋事件。初子は3年の年季が明け小学校卒業が近づく。竜三は初子を山形に返すつもりだったが、雄が強硬に反対。おしんは初子の意思を聞き、家族として一緒に暮らすと決める。 人の噂でひさの家に男がいると聞いたおしんが様子を見に行くと浜辺に松葉杖をついた右足が不自由な浩太がいた。おしんは浩太に話しかけるが、浩太は俯き目をそらし逃げていく。おしんがひさに問いただすと、昔の浩太は死んだのだ、昔の自分を捨てて監獄から出てきたのだという。浩太は思想転向を強要され社会主義と縁を切って釈放されたが、6年間の監獄生活の間に拷問に遭い右足が曲がらなくなっていた。転向を恥じる浩太は、ひさにもめったに口を聞かなくなり誰にも会いたがらない。おしんは浩太のことを竜三に相談するが、すべてがご時世だと言う。誰も逆らえない強大な権力が日本の運命を握っている。昭和12年の暮れ日本軍が南京を占領。戦勝を祝う提灯行列におしんも勝利を喜ぶ日本人の一人になっていた。 突然、陸軍少佐で竜三の次兄・亀次郎が田倉魚店を訪れる。竜三は亀次郎に雄を上の学校に上げる金がなく、中学を出れば十分だと言うと、亀次郎は雄に陸軍士官学校を狙うとよい、士官学校は官費で金もいらないと話すが、おしんは眉をひそめる。また亀次郎は竜三に5人の子供の教育費のためにも、もっと太い商いをしろと忠言。竜三は津の連隊の納入業者になる決断をし、おしんは意見するも最後には同意する。 竜三は軍の納入業者になるつもりで店はもう閉めてもいいと言うが、おしんは信用が大事だと仕入れを続ける。昭和13年(1938年)、連隊への食料品を納める業者の入札が行われ、無事軍の納入業者になる。竜三は長い間世話になった網元・ひさからの仕入れを止め、銀行の融資を受けトラックを購入。店を閉めるつもりでいたが、おしんは店を続けたいと懇願。店で売る魚もトラックで市場から仕入れてもらう。 昭和13年の春、雄の進学を考える時期となる。寅年の初子は縁起が良いので方々から千人針を頼まれる。雄は学校から進路希望をするように言われ、陸軍士官学校に行くと竜三に相談する。竜三は入学できればこんな名誉なことはないと賛成するが、おしんは反対し口論となる。憂国の空気に感化された雄の意志は固かったが、初子からおしんが雄を抱えてこれまで生き抜いてきたことを問い正されて考え直し、三高の文科を志望し、ゆくゆくは京都帝大にも行くつもりだと両親に告げる。 昭和14年(1939年)戦争は終結するどころか拡大する一方だった。雄は無事京都の三高に合格し、家を出て京都で下宿をする。秋、ひさが漁を止めると聞き、ひさの下へ行く。船の燃料の石油が統制・配給になったので漁を止め、ひさは東京の息子の家に行くという。浩太は近くの町の大きな造酒屋の一人娘・並木香子と祝言をあげる。 竜三は連隊に鮮魚だけではなく魚肉練り製品も納入する話を決め、酔って帰ってくる。おしんを抱きしめて「お前にはこれまで本当に苦労をかけたが、もう大丈夫だ!もう辛い思いをさせない!」と上機嫌。戦争に押しつぶされる人、戦争を足がかりにのし上がる人。物資統制でどの家庭も物資不足に嘆く中、軍に関わる田倉家だけは物も食料も豊かだったがおしんの心は晴れなかった。 昭和15年(1940年)京都から雄も帰郷し全員で新春を迎える。初子は3月に高等小学校を卒業後、実母から兵隊に男手が取られ人手が足りないので帰ってきてくれと連絡があったので山形の実家に帰ると言い出したが、雄はただ一人強硬に反対する。頼むから初子を返さないでくれと両親に懇願する雄を見て、おしんも竜三も雄は初子が好きなのだと気がつく。竜三は自慢の跡取り息子・雄の嫁には初子のような山形の小作の娘はふさわしくないと二人の将来の結婚に反対するが、おしんは「私だって山形の小作の娘です」と反論し、二人の気持ちを大事にしたいと抗う。 統制の影響で田倉魚店に行列ができるが、軍に出入りしているから商売ができると嫌味を言われてしまう。竜三が帰ってきて、軍への魚を横流しして儲けていると連隊に投書があったという。竜三は怒り、魚店を閉めさせる。 初子の高等小学校卒業。初子は雄に想いを残しながらも竜三が自分の存在に否定的なことに気づいており、卒業式の次の日に帰郷する切符を買う。だが竜三はまた新たに工場をやると言いだし、軍の衣料の縫製で襦袢、袴下などの工場の監督をおしんに依頼、そして家のことは実家に戻す予定だった初子を留まらせて任せたいと突然言い出したため、初子はそのまま田倉にいることになる。竜三の軍事関連事業も好調で、小さな店から大きな屋敷に引っ越す。おしんは縫製工場の監督。竜三は隣組の組長になった。 昭和16年(1941年)春、仁と希望は中学校に進学。田倉家に突然庄治が訪ねてくる。おしんは歓迎し家に上げる。雄と同い年の庄治の息子・貞吉は高等小学校を出て15歳で少年飛行兵に志願して合格していた。おしんが霞ヶ浦の予科練かと聞くと、陸軍の航空学校だという。おしんが、そういう学校行くと、少尉になれるんでしょと言うと、庄治は陸軍士官学校をでなければ将校にはなれない、おまけに操縦士に向いてないと整備兵に回された、貧乏小作の息子はどんなに頭がよくても出世できないと吐き捨てる。そして戦争に行く貞吉に庄治は福岡で最後の別れをしてきたところなのだと話す。竜三は初対面の庄治を外食で立派に饗し、また竜三は息子を兵隊に取られた庄治に深く同情する。翌日庄治にはたくさんの手土産をもたせて山形へ帰した。 12月8日、ラジオが真珠湾攻撃を伝える。野菜が手に入らなくなりおしんは庭を畑にする。帰省した雄が戦争を賛美する。おしんは俊作から貰った「明星」を雄に手渡し、戦争賛美の精神を諌める。国民服の竜三は方々で少年を兵隊に志願させるよう説得。おしんが竜三に仁や希望も志願させるつもりかと聞くと、当たり前だと言う。昭和17年(1942年)4月。雄は京都帝国大学に入学。太平洋での華々しい戦果が連日報道される。 昭和18年(1943年)秋。突然雄が帰省する。二十歳になった雄は見つかったらただじゃすまないと「明星」をおしんに返し、学徒出陣を告げる。おしんは雄に俊作のことを話す。俊作は、もしおしんが戦争に巻き込まれても、おしんだけは戦争に反対しろと言ったが、「お母さんは何のためにこの本を大事にしていたのか、何もできなかった」と雄の前で涙する。 雄の入隊の日、初子は雄に千人針を渡す。雄は初子に「初っちゃんが好きだ。終生の伴侶と決めている。待っていて欲しい」と告白。初子も同じ気持ちであることを告げる。雄は初子の身体を強く抱きしめ、家族だけに見送られて自宅を後にする。 昭和19年(1944年)5月、雄から30日に面会できるとの葉書が届いたが、仁も希望も初子も軍需工場に動員されていた。竜三はこの非常時に休むわけにはいかないと言う。おしんは竜三には内緒で初子を面会に連れて行くが竜三は気づいていないふりをしておしんと初子を送り出す。面会の会場で前日にこしらえた雄の好物のおはぎをふるまう。雄は同期の川村清一にもおはぎを分け与え面会を終える。7月、サイパン陥落。竜三はいよいよ本土爆撃、空襲が始まる、禎を疎開させた方がいいと言うと、おしんはアメリカが日本まで飛んできて爆弾落とすなんて、取り越し苦労だと返す。9月、雄から葉書が届く。雄の行方を知りたいおしんは陸軍中佐の義兄亀次郎に手紙を出す。亀次郎は軍の機密が絶対秘匿である原則を破って(文書、電話は不可なため)田倉家を訪問し、直接おしんに雄が博多から輸送船に乗り南方に派遣されたことを伝える。また、いつ本土空襲を受けても不思議ではないと言う。決心したおしんは禎を疎開先に託す。仁は特攻隊のニュースに刺激され、自分も志願すると言い出し、家を出て行ってしまう。11月末からは東京への本格的な空襲が始まった。 昭和20年(1945年)春、疎開先で粗末に扱われていた禎が、疎開先を抜け出し、無賃乗車で帰ってくる。つらい思いをしてるのは禎一人じゃないと、翌日竜三は疎開先に返す。7月の空襲で、竜三の工場は焼失したが、自宅はおしん、初子、希望の3人が夜通し水をかけ続けて守り抜いた。が翌日、戻った竜三と共に家族が安堵したのも束の間、そこへ雄の戦死公報が届く。おしんは戦死を信じなかった。竜三は雄の写真に向かって座り、雄の後を追う決意を口にする。8月、広島、長崎に原爆投下。15日の正午、玉音放送。十五年戦争終結。だが、田倉家には仁からいよいよ出撃しますとの手紙が届いていた。その夜、明かりの無い縁側で竜三とおしんは久しぶりに静かに語り合い、竜三はおしんに「私の人生で一番素晴らしかったことはおしんと巡り会えたことだ」と告白する。 16日、竜三は背広を来て出かけるがその日帰宅しなかった。翌日竜三から手紙が届く。手紙には「雄や仁を殺した父親として、また近隣の子息を志願させ、戦争に協力した罪はせめて私の命をかけて許しを請うしかないと思っています。私にとって死を選ぶことは戦争に協力した人間として当然受けなければならない報いです」と記されていた。おしんの元に村役場の人間が訪ねてくる。竜三は林の中で正座し、短刀で心臓を突いて自刃していた。清と亀次郎が知らせを聞いてやってくる。清は遺骨と遺影に向かい「お前の今の務めは、おしんさんや禎の暮らしば立ててやることじゃなかッ。とっとと自分だけ楽になりおってッ」と声を荒げて竜三を責めるが、おしんは「竜三は立派。節を曲げず自分の生き方にけじめをつけた。そんな竜三が好きです」と庇う。清はおしんに禎を連れて佐賀の家に来るよう勧めるが、おしんは「住む所だけはありますから」と丁寧に断る。清はおしんに礼を言い、竜三の骨を一片胸に抱いて佐賀へ帰っていった。 28日。連合軍先遣隊厚木到着。おしんは居間で寝ている仁に気が付き、帰ってきたことを喜ぶ。仁は戦争が終わったあと、徹夜で書類の焼却などの後始末をやらされ、混乱の中、占領軍が来る前に追い出されたという。目的を失い悔しがる仁だったが、竜三の死を知って気持ちを切り替え、物資が不足する中、希望を連れてヤミ屋をやりだす。禎が帰ってくる。9月。全国で学校が再開され始め、おしんは仁と希望に学校に行けと言う。仁は反発するが、折れ、ヤミ屋はおしんと初子の仕事になる。 家に元の持ち主だという引揚者が来る。空き家になるので軍に貸したが、帰ってきたらすぐ明け渡す約束だった、出て行けと言われて揉めてしまう。決め手もなく、結局一つ屋根の下で二組の家族の生活が始まる。仁は連中を追い出さないならこっちが出ていこうと言うが、おしんは雄はこの家に帰ってくると返す。おしん一家はヤミ屋、引揚一家は米兵に媚びを売る。戦時国債も紙屑になり金もなく、おしんは庄治を頼ろうと山形へ向かう。 GHQ主導によって農地改革が断行されることになり、実家の庄治夫妻は小作から土地持ち農家になると大はしゃぎの最中だった。おしんは戦中、何もかも不足していた時に庄治家族宛に何度と無く物資を送っていたこともあって頼ってみたのだが、今度長男貞吉が嫁をもらい、新居を建てるつもりだからとおしんに対してけんもほろろだった。おしんが8つの時に自分で植えた杉は切り出せるまでに成長していたが、おしんは山形を去るしか無かった。 川村が復員して田倉家を訪ねてくる。おしんは雄の消息を聞けると思い嬉々として家の中に招き入れようとするが川村はおもむろに直立不動をとり「田倉候補生の遺品をお届けにあがりました!田倉候補生は昭和20年4月18日、ルソン島の戦いにおいて名誉の戦死を!」と敬礼。初子はその場で卒倒気絶し、おしんは呆然と立ち尽くす。川村は雄の日記を差し出す。マラリアにかかり、餓死したことがふたりに伝えられる。 すっかり気を落とした初子におしんは雄のことを思い出すからと(田舎の)山形に帰ってはどうかと勧める。翌朝、初子は暇を貰うとの置手紙を残して姿を消していた。ひさが田倉家を訪ねてくる。東京から伊勢に帰ってきて、また漁をやるという。おしん一家はひさの家に身を寄せることになる。引っ越しの日、初子から為替の入った手紙が送られてきた。消印は東京であった。 夫と息子を失ったおしんは再び伊勢に戻ってきた。浩太が訪ねてくるがアメリカの命令で自らが命をかけてきた農地改革がいとも簡単に実現したこと、軍国主義の世の中の雰囲気が敗戦によって平和至上の空気に一瞬にして転じたことに対し「自分が青春を犠牲にして闘ってきたものは一体何だったのか」と虚しさを口にする。おしんは浩太と伊勢の海を眺めながら半生の中で死に別れた人々に思いを馳せ、失ったものをきっと取り返してみせると決意する。昭和21年の夏、おしん46歳の再出発だった。
※この「太平洋戦争編(第186回〜第225回)」の解説は、「おしん」の解説の一部です。
「太平洋戦争編(第186回〜第225回)」を含む「おしん」の記事については、「おしん」の概要を参照ください。
- 太平洋戦争編のページへのリンク