太平洋戦争開戦・東條英機への批判とは? わかりやすく解説

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太平洋戦争開戦・東條英機への批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 06:22 UTC 版)

平林盛人」の記事における「太平洋戦争開戦・東條英機への批判」の解説

太平洋戦争大東亜戦争開戦直後1941年昭和16年12月29日第17師団長のにあった平林は、中国徐州師団本部部下将校(約40名)を前に現在の日本戦力では、対米英軍相手干戈(かんか)(いくさ)を交えても、絶対に勝て見込みはない。真珠湾奇襲寝込み襲い戦果挙げたかもしれないが、1年足らず劣勢に追い込まれ、やがて敗戦に至るだろう」 「装備劣勢日本軍近代戦戦えないことは、先のソ連惨敗したノモンハン戦で立証済みである」 「泥沼化している中国戦線未解決のまま米英軍を相手に戦う余力は、今の日本にはない。負け戦分かっている戦争は、絶対にやってはならない」 とこの開戦厳しく批判し、さらにその矛先は、平林とは不仲と言われていた東條英機内閣総理大臣陸軍大臣)にも向けられ 「〔東條は〕本来憲兵司令官最後に予備役編入せらるべき人物で、陸軍大臣総理大臣の器ではない。この難局処理する能力など持っていない」 と述べたという(平林演説聞いた2人将校証言による)。 平林演説聞いた将校たちが「他言無用」と申し合わせて秘密守ったため、この一件世間知られたのは約70年後の2009年平成21年)のことであった太平洋戦争開戦直後に、部下前にして「聖戦」を正面から厳しく批判したのは平林の他に例を見ない太平洋戦争経過は、概ね平林の「予言通りとなった秦郁彦は、平林演説下記のように評する昭和16年12月29日は「勝った勝った」で浮かれていた時期で、現役師団長ここまで厳しく対米開戦批判するのは異例のこと。人事権を持つ東条首相陸相対す思い切った言動には、びっくりした平林同期石原莞爾東条批判をしており、石原との交流影響もあると思う。 — 秦郁彦

※この「太平洋戦争開戦・東條英機への批判」の解説は、「平林盛人」の解説の一部です。
「太平洋戦争開戦・東條英機への批判」を含む「平林盛人」の記事については、「平林盛人」の概要を参照ください。

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