太平洋戦争開戦後の路線網
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 02:07 UTC 版)
「大日本航空」の記事における「太平洋戦争開戦後の路線網」の解説
1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争の開戦とともに、大日本航空が運航する路線は軍の管理下に置かれ、友好国のタイのバンコク線に合わせて、さらにイギリスの植民地であった昭南や香港、アメリカの植民地であったフィリピンのマニラやダバオ、オランダ領東インドのジャカルタ、オーストラリアの植民地であったラバウルなど、日本軍が宗主国の植民地軍を放逐し、新たに占領した東南アジアにおけるネットワークを拡大し、戦争中は軍事的に重要な輸送手段となっていた。 戦時下においては、大日本航空の機材や乗員の多くは、開戦直前に陸軍航空部隊が編成した「特設第13輸送飛行隊」に編入され南方地域への運航を担い、さらには「南方航空輸送部」に組織改編された。 1940年10月当時の運航路線 ジャパン・ツーリスト・ビューロー『時間表 昭和15年10月号』より。特に記述の無い路線は毎日1往復運航。 国内線 東京 - 仙台 - 青森 - 札幌 東京 - 長野 - 新潟(休航中) 東京 - 名古屋 - 大阪(毎日2往復運航) 東京 - 長野 - 金沢 - 大阪(休航中) 東京 - 米子 - 京城 横浜 - サイパン - パラオ(月2往復運航、サイパンで一泊) 大阪 - 米子 大阪 - 高松 - 松山 - 別府 大阪 - 徳島 - 高知 大阪 - 福岡 大阪 - 福岡 - 大邱 - 京城 - 平壌 - 新義州 - 大連 福岡 - 那覇 - 台北 京城 - 咸興 - 清津 京城 - 大連 台北 - 台中 - 台南 - 高雄 - 台東 台東 - 花蓮港 - 台北 台中 - 馬公 国際線 東京 - 福岡 - 京城 - 奉天 - 新京 京城 - 青島 - 天津 - 北京(天津には当分寄航しない) 福岡 - 上海 - 南京 福岡 - バンコク 台北 - 広東
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