太平洋戦争末期における対日強硬路線
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「リチャード・ラッセル・ジュニア」の記事における「太平洋戦争末期における対日強硬路線」の解説
1945年8月7日、広島への原爆投下後、日本の降伏が明らかになってくる中、トルーマン大統領に電報を打ち、さらなる徹底的な都市の破壊と、無制限の原爆投下、市民の無差別殺戮を続けるよう進言した。以下がラッセルのトルーマン大統領宛の電報内容である。 ポツダム宣言に沿って、日本を降伏させようと甘言をあやつるという努力を停止すべきだという進言を謹んでさせて頂きたい。無条件降伏をさせてくれと彼らが頼み込んでくるまで、この戦争を続けて行こうではありませんか。パールハーバーにおける彼らのだまし討ちでわれわれはこの戦争に引きずり込まれたのです。ドイツよりも日本に対してより思いやり深く寛大でなければならないどんな有効な理由も私には見出せません。私はドイツに対してと同様に日本に対して冷酷に対応すべきだと声を大にしていいたい。日本には穏便な和平を享受する権利はありません。健全な考え方を持っている広範なアメリカ人は、東洋に通じた人たちを含めてですが、裕仁に不可侵性ありとするグルー氏の態度に全く同意できません。天皇は去るべきです。 日本の神道には何の義理もありません。ポツダム宣言に対するジャップのにべもない回答は、その文書の中身やより厳格な和平条項を修正しても構わないと言うことに他なりません。もし今われわれが、即座に仕事をかたづける(日本をたたきのめすこと)に十分な数の原爆を保有していないなら、原爆ができ上がるまで、TNT爆弾でも焼夷弾でも攻撃を続けましょう。 また私は、空軍の司令官たちに対して、日本の都市爆撃に関する事前警告を禁止する命令を出して頂きたいと考えるものです。これら将軍連中が日本の上空を飛行するわけではありません。彼らの向こう受け狙いは、多くの空軍の立派な若者たちに無用な損害を及ぼすだけです。そればかりではありません。日本の手中に捉えられている無力なアメリカ人捕虜やバターン死の行進で捉えられた捕虜たちは、間違いなく空襲警告を受けた都市に移送されるでしょう。 私たちの敵に全てのカードが揃って限り、この戦争は限定なしの全面戦争なのです。現在のアメリカの優位はアメリカ人の血や財産や困難に打ち勝つ力で勝ち得たものです。なぜ今ルールを変える必要があるでしょうか?これっぱかりの警告もなしに、日本がわれわれに最初の一撃を加えたことを忘れてはなりません。日本がわれわれの足元に這いつくばるまで日本を叩き続けると信じています。私たちは日本に対して和平の申し出をすることを即刻やめるべきです。次の和平の宣告は東京を焼け野原にした後にすべきです。 Telegram, Richard Russell to Harry S. Truman, August 7, 1945
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