太平洋戦争戦中と終戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:16 UTC 版)
太平洋戦争中、北から侵攻するであろうアメリカ軍に備えるため、占守郡の幌筵島には柏原(ロシア名セベロクリリスク)の高台を含め、日本軍の飛行場や地下に掘られた病院が造られていた。現在、どの場所も廃墟や残骸が残るのみである。 1943年(昭和18年)のアッツ島守備隊の玉砕とキスカ島守備隊の撤退により占守郡は対米防衛の最前線となり、既配置部隊にキスカ島撤退部隊及び内地からの増強部隊を合わせて、陸軍の北千島守備隊は師団規模に増強され、新知郡や得撫郡、北方四島にも兵力の増強が行われた。海軍は第五艦隊を支援するため第十二航空艦隊を創設、そして第五艦隊と第十二航空艦隊を統括指揮する北東方面艦隊を編成した。7月、アメリカ軍は奪還したアッツ島に設営した飛行場へ第11空軍 (アメリカ軍)を進出させ、日本軍施設がある占守郡の幌筵島などへのB-24 (航空機)、B-25 (航空機)による空襲が始まり次第に激しさを増す。 1944年(昭和19年)千島方面防衛のため、陸軍は第27軍司令部を択捉島に新設し、占守郡には戦車第11連隊を含む兵力が増強される。既配置の部隊と増強部隊を合わせて、占守郡では占守島と幌筵島に第91師団が編成される。新たに、温禰古丹島に海上機動第3旅団を、新知郡に第42師団を、択捉島に海上機動第4旅団と独立混成第43旅団を、国後島に独立混成第69旅団を編成した。海軍の第五艦隊は南方作戦に参加し、そのまま転属となって北東方面艦隊は解隊したが、第十二航空艦隊は終戦まで千島、樺太方面の警戒にあたった 1945年(昭和20年)に入ると本土決戦準備のため、2個の海上機動旅団、陸軍航空部隊と海軍部隊のほとんどが内地に転用される。この転用での海上移動中に多くの部隊が、米軍による空襲、潜水艦の魚雷攻撃、艦砲射撃等で損害を受けている。終戦時、占守郡の占守島及び幌筵島に第91師団、新知郡の松輪島に独立混成第41連隊、得撫郡の得撫島に独立混成第129旅団、北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)に第89師団が配置されていた。 1945年(昭和20年)8月14日 - 日本政府がポツダム宣言を受諾して無条件降伏(日本の降伏)。その直後の8月15日にソ連極東軍司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキーは千島占領命令を下す。 詳細は「占守島の戦い」を参照 8月18日にはカムチャツカ半島のロパトカ岬から砲撃が開始され、同時に、ペトロパブロフスク・カムチャツキーから出撃した赤軍・第二極東軍が占守郡の占守島に上陸、日本軍・第五方面軍第91師団と交戦した。8月21日に停戦したが、4日間の戦闘でソ連側が1,567名、日本側が1,018名の死傷者(ソ連側資料)を出した。日本側資料ではソ連側が約3,000名、日本側が約600 - 700名の死傷者とされている。 スターリンは占守島を1日で占領し、余勢を駆って北海道の東半分(留萌から釧路を結ぶ線)を占領する予定であったが、予想外の抵抗を受けた(日本降伏直後、スターリンはトルーマンへの電報の中で、ソ連軍による千島列島と北海道北半分の占領作戦準備を始めたが、北海道に関してはヤルタ協定に含めていなかったため、トルーマンに拒否された)。占守島の日本軍武装解除は8月23日と24日に行われた。千島の攻略は樺太を見ながら行い、8月26日に新知郡の松輪島を、8月28日から8月31日に得撫島を占領したが、第二極東軍は択捉島に一度近づきながら、その先に進まなかった。 択捉島以南(北方四島)の占領は、8月28日に樺太制圧が終了した第一極東軍を転用した。南千島占領部隊は8月26日に大泊を出航し8月29日に択捉島を占領、9月1日に国後島と色丹島に上陸し、9月2日に日本が正式に降伏する間も軍を進めたが、両島の制圧には9月4日まで費やした。9月5日に歯舞群島を占領して一連の計画は完了したが、占守島侵攻で時間を費やさなかったら北海道本島も侵略されていたと見る者もいる。 ソ連占領地域は北海道本島との交通を遮断され、千島列島住民は本土への帰還ができなくなり、駐屯していた日本軍は武装解除の上、スターリンの指示でシベリアの収容所に連行された(シベリア抑留)。また、ソ連は占領地にロシア人を送り込み、日本住民の個人資産を次々に接収していった。アイヌを含む千島住民の一部は残留の強い働きかけを受けたものの、1947年(昭和22年)にほぼ全員が本土へ引き揚げることとなった。朝鮮籍の住民は日本引き揚げを認められず、彼らと結婚したものなど一部残留を希望する日本人は引き揚げず、後にサハリン(樺太)に移送されて在樺コリアンとなった。
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