海上機動第3旅団
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1944年3月26日、北千島の占守島で編成完結。前身は千島第1守備隊第2歩兵隊(歩兵3個大隊基幹)で、これに日本本土で新たに編成した戦車隊などを編合した。千島列島北部に分散展開して防衛に当たっていた。 その後1945年には本土決戦に備えて北海道本土、ついで青森県へと移動することとなった。うち輸送船「大誠丸」と護衛の特設砲艦「快鳳丸」からなる第1梯団(旅団司令部及び機動第1大隊主力ほか)は、経由地小樽港へ航行中の4月19日に潜水艦により2隻とも撃沈され、旅団長以下多数が戦死した。旅団輸送隊は残置され、それ以外の部隊は青森で再建後、さらに鹿児島県へ転進した。旅団輸送隊は後に独立して船舶工兵第57連隊となり、一部は占守島の戦いで幌筵島からの増援部隊輸送に従事した。 5月23日に旅団主力の独立混成第125旅団(敬天兵団)への改編が下令され、独立歩兵大隊3個を追加するなどして6月中旬に鹿児島で編成完結した。薩摩半島で守備に就き、終戦を迎えた。終戦後に熊本県の人吉市へ移動して復員を開始し、9月20日復員式を挙行、11月30日に敬天特別旅団司令部を閉鎖した。 歴代旅団長池田栄之助 大佐(後に少将):1944年(昭和19年)3月1日 - 1945年(昭和20年)4月19日(戦死) 倉橋尚 大佐(後に少将):1945年(昭和20年)5月8日 - 1945年(昭和20年)6月中旬
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