海上挺進部隊の発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 15:25 UTC 版)
前述のように、日本本土決戦と海軍総特攻化の流れにおいて1945年(昭和20年)5月20日、連合艦隊は第三十一戦隊・秋月型駆逐艦「夏月」、軽巡洋艦「北上」と峯風型駆逐艦「波風」をもって海上挺進部隊 (KTB)を編成した。第三十一戦隊司令官の鶴岡信道少将が、海上挺進部隊司令官を兼務した。主任務は邀撃奇襲作戦と輸送作戦であった(GB電令作第41号)。また第十一水雷戦隊の一部艦艇は訓練部隊に部署され、舞鶴方面に配備されることになった(GB電令作第43号)。 第三十一戦隊には第17駆逐隊が所属しているが、海軍砲術学校の練習艦任務のため舞鶴鎮守府部隊に編入されており、海上挺進部隊の編成には加わっていない。また第三十一戦隊所属の第41駆逐隊(冬月、宵月、夏月)は、5月25日より第七艦隊を基幹とする対馬海峡防衛部隊に増勢された。このうち「宵月」は6月16日に海上挺進部隊に復帰した。 7月1日、第十一水雷戦隊司令官は高間完少将から松本毅少将に交代した。この頃になると日本の燃料事情はさらに悪化、新造駆逐艦の就役訓練すらできなくなった。大本営海軍部は7月15日付で第十一水雷戦隊を解隊し、同所属の第53駆逐隊も解隊する。十一水戦旗艦だった軽巡洋艦「酒匂」と麾下の松型駆逐艦は予備艦や特殊警備艦となり、各軍港で浮砲台となった。海上挺進部隊も燃料事情のため行動できず、瀬戸内海の呉軍港近海に偽装を施した状態で係留されていた。7月19日と24日の呉軍港空襲で、内海西部所在の「北上」をはじめ各艦とも被害をうける。7月30日、小沢連合艦隊司令長官は呉鎮守府司令長官に対し、第二特攻戦隊司令官に回天特攻隊の編成を下令した。回天は25基が準備され、決号作戦警戒下令発令をもって海上挺進部隊に編入されることとした(GF電令作第143号)。
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