択捉島以南
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:16 UTC 版)
択捉島およびそれより南側の国後島、色丹島、歯舞群島の4島は、1855年の日露和親条約によって日本領となった。 1945年からソビエト連邦およびロシアの実効支配が続いているが、日本も領有権を主張している。 なお、日本政府は「これら4島は千島列島ではない」と主張している が、便宜上、4島も本節に併記する。 現在のロシアでは、4島のうち択捉島のみがクリル市に属し、国後島・色丹島・歯舞群島は南クリル市(露: Южно-Курильский городской округ)を構成する。 日本語名ロシア語名英語名名前の由来となったアイヌ語面積km2(へいほうキロメートル)最高標高m(メートル)北緯東経択捉島(えとろふとう) Итуруп(イトゥルップ) Iturup エトゥ・オロ・プ(岬の・ある・所) 3200 1634 44°50' 147°50' 国後島(くなしりとう) Кунашир(クナシル) Kunashir クンネ・シリ(黒い・島→黒い島)または キナ・シリ または キナ・シル(草の・島→草の島)(どちらが本当の由来かははっきりとしていない) 1490 1822 44°05' 146°00' 色丹島(しこたんとう) Шикотан(シュカタン) Shikotan シ・コタン(大きな村) 250 413m 43°50' 146°45' 歯舞群島(はぼまいぐんとう) Острова Хабомай(アストラバ・ハボマイ) Habomai / Khabomai 97 45m 43°30' 146°05'
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