太平洋戦争における竹槍の使用とは? わかりやすく解説

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太平洋戦争における竹槍の使用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 10:01 UTC 版)

竹槍三百万本論」の記事における「太平洋戦争における竹槍の使用」の解説

太平洋戦争においてはマレー作戦拳銃と共に竹槍部隊上陸するなど、僅かではあるが竹槍武器1つとして利用することもあった。 太平洋戦争後半戦局の悪化により本土決戦叫ばれ1945年昭和20年3月24日、「国民義勇隊組織に関する件」の発表に伴い国民義勇隊組織されることとなった。ただし、国民義勇隊では竹槍による訓練等は行わないものとしていた。 その翌月4月25日大本営陸軍部により、全国民対す本土決戦時の手引書である『国民抗戦必携』と題した冊子発行された。『国民抗戦必携』の内容1945年昭和20年6月10日から6月13日にかけて『朝日新聞』にて紹介されており、その中の「白兵戦闘と格闘」の章において以下の解説がされている。 銃、劍はもちろん刀、竹槍から鎌、ナタ玄能出刃庖丁鳶口に至るまでこれを白兵戰兵器として用ひる、刀や用ふ場合は斬擊や橫拂ひよりも背の高い敵兵腹部目がけてぐさり突き刺した方が效果がある、ナタ玄能出刃庖丁鳶口、鎌等を用ひるときは後から奇襲すると最も效果がある、正面から立ち向つた場合半身に構へて、敵の突き出す劍を拂ひ、瞬間胸元飛びこんで刺殺する、なほ鎌の柄は三尺位が手頃である — 大本營陸軍部刊行國民抗戰必携』、『朝日新聞朝日新聞東京本社、昭和20年6月11日2面 また、その翌月5月24日内閣総理大臣である鈴木貫太郎(1868-1948)が、航空機製造会社代表者数十人を首相官邸招待して航空機増産激励会催し、その挨拶において竹槍について下記発言をしている。 しかもなほ直面せる戰爭の實態あくまでも旺盛な士氣近代科學粹を集めた立體作戰終始し決し竹槍をもつて戰ひ得るごとき戰爭觀であつてはならぬのであつて、一に航空機核心として勝敗歸趨決する堅い覺悟をもたねばならぬ — 鈴木首相、『朝日新聞朝日新聞東京本社、昭和20年5月25日1面 これは航空機の関係業者集めた会合なので、特にその者達を激励するための発言であるが、航空機等の近代兵器必要性説くだけでなく、不毛な竹槍訓練批判する意図含められていると考えられる結果として竹槍戦術正式に採用されないまま、1945年昭和20年8月14日日本ポツダム宣言受諾したため、本土決戦に至る前に終戦迎えた

※この「太平洋戦争における竹槍の使用」の解説は、「竹槍三百万本論」の解説の一部です。
「太平洋戦争における竹槍の使用」を含む「竹槍三百万本論」の記事については、「竹槍三百万本論」の概要を参照ください。

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