太平洋戦争と連合国接収、接収解除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:00 UTC 版)
「大さん橋」の記事における「太平洋戦争と連合国接収、接収解除」の解説
太平洋戦争終結により大桟橋は連合国に接収され、サウスピアと改称された。降伏文書調印のために米国戦艦「ミズーリ」に向かった重光葵外相も大桟橋から小型船に乗船している。連合国も連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) を当初置いたのも大桟橋に程近いホテルニューグランドであり、大桟橋が時代の節目で日本の歴史に深くかかわることが、横浜の開港以来の宿命を如実に表している。 大桟橋は1952年2月15日に接収解除となり、北アメリカ定期航路にはアメリカンプレジデントラインの「プレジデント・ウィルソン」や「プレジデント・クリーブランド」、ヨーロッパ航路にはP&Oクルーズの「チューサン」、オリエントラインの「オロンセイ」などが就航。日本郵船の「氷川丸」がシアトル航路に復活するなど、第二の盛時を迎えた。 また日本人の移民船として「ぶらじる丸」「あるぜんちな丸」等が就航し、1960年代初頭までの戦前に続く第二次南米移民ブームを支えた。また後にソビエト連邦とのナホトカ定期航路も開設され、シベリア鉄道に乗継ぐことで、安価な旅費でのヨーロッパ渡航が人気を博した。 この頃の「氷川丸」でフルブライト留学生として渡米した人々も少なくなく、また宝塚歌劇団の渡米にも利用された。1968年4月には、世界一周クルーズ中のキュナード・ラインの「カロニア」が来航した(同船は出帆時に、港口の白灯台を薙倒す事故を起こした)。
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