作戦の名前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:42 UTC 版)
大陸軍の本軍事作戦の目的地であるイギリス領ケベックは、1775年の時点では「カナダ」と呼ばれることが多かった。例えば第二次大陸会議がフィリップ・スカイラー将軍に出した侵攻作戦の承認文では、もしも「カナダ人にとって不愉快でない」のであれば、「即座にセントジョン砦、モントリオールおよびかの国の如何なる所も占領すること」、そして「カナダでは」植民地の「平和と安全を促進」する「如何なる手段も追求すること」という文言があった。この作戦を詳細に語る比較的現代の歴史書であっても、その表題にカナダを使っている。イギリスがケベックと呼んだこの領土は、フランスがフレンチ・インディアン戦争を正式に終えパリ条約でイギリスに同地を割譲する1763年までは、フランス領カナダ植民地と呼ばれていた(フランス軍は1760年にこの植民地をイギリス軍に明け渡していた)。本稿では、具体的に「カナダ」と言及するものを引用する場合を除いて、この歴史的な使われ方と現代のカナダという国に関する使われ方の間の混同を避けるため、同地については「ケベック」という名称を使用する。
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