計画と準備
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水陸両用作戦では、陸海空の各領域を担当する多くの軍種や兵科の統合(共同、諸兵科連合)及び調整、時として同盟国との連合が求められるため、各段階のうち「計画」が最も複雑な部分となる。 上陸地点を選ぶ際には、敵の防衛体制に加えて、海岸の地形による見通しや海流の状況が考慮される。また汀線付近においては、上陸用舟艇が座礁しないように遠浅の海を避けるとともに、上陸部隊の体制を整えたり兵站支援を支障なく行えるような地積も必要である。 上陸日時は、気象状況や敵情に応じて決定される。夜間の上陸は奇襲効果を期待できるが、上陸活動そのものの難度が上がることもあって、最もよく上陸が行われる時間帯は、明け方と夕暮れである。
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計画と準備
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1940年7月のノルウェー占領以後、ドイツはソ連とフィンランドの戦争が再開した際に、ソ連軍の攻撃からペツァモを防衛する為の作戦が、トナカイ作戦の名前で計画された。ペツァモの近くにあるニッケル鉱山は、ドイツの軍需生産にとって不可欠であった。ドイツは1940年9月以降、北部フィンランドを通過する兵員の移動と補給の権利を得ていた。 1941年1月、ノルウェー駐留ドイツ軍参謀長エーリヒ・ブッシェンハーゲン大佐はソ連に対して予定されるバルバロッサ作戦においてフィンランド軍と協力ができないか協議するように命令された。4月には、フィンランド軍との協議はほぼまとまり、銀狐作戦の大筋は、国防軍最高司令部(OKW)の承認を受けた。 銀狐作戦は、フィンランド北中部におけるドイツ軍の作戦で、北部では、ペツァモを確保するトナカイ作戦。その後、ペツァモよりムルマンスクに進撃する白金狐作戦。これの実施部隊は、ノルウェー駐留ドイツ軍山岳軍団の2個師団。南部では、北極狐作戦。この作戦は、作戦区域が2つあり、一つはXXXVI軍団(ハンス・ファイゲ(英語版)騎兵大将)が、ケミヤルヴィ→サッラ→カンダラクシャ→ムルマンスクと進撃する。もう一つは、フィンランドIII軍団が、スオムサラミ→ウクタ→ケミと進撃する。カンダラクシャとケミは、ムルマンスク鉄道が通過しており、攻略できればムルマンスク鉄道が遮断できた。山岳軍団の作戦地域は、10月には冬が到来し、作戦行動は不可能になるので、作戦は、9月末までに完了することが必要であった。 これらの作戦に参加予定の部隊は、ノルウェー南部かドイツ本国にあったが、ノルウェー北部は鉄道はなく、道路は貧弱で冬季は翌年5月まで通行不可であった。したがって、沿岸航路を使う必要があったが、イギリス海軍の襲撃を受ける恐れがあった。また、フィンランド側は、中部のロバニエミまでしか鉄道はなく、ロバニエミーペツァモ間は、大軍の移動には適さない道路があるだけだった。そこで、ドイツは、スウェーデンと交渉して、ノルウェー南部からフィンランド国境まで、第163師団などの鉄道移動を認めさせた。 ドイツ本国にあったXXXVI軍団司令部、軍団直轄部隊、第169師団のフィンランド領内への展開計画は青狐1、青狐2(Blaufuchs I and Blaufuchs II)と名前をつけられ、1941年6月に始まった。これらの部隊は、フィンランド領内を鉄道でロバニエミまで移動したが、6月18日までは、国境沿いに展開することは禁止されていた。ノルウェー駐留ドイツ軍は、ロバニエミに前線司令部を設置した。
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