計画と設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
「アンダートン船舶昇降機」の記事における「計画と設計」の解説
1870年までに、アンダートン舟溜りは双方向の主要な積換え場となり、巨大な倉庫、3個の独立倍船台と4個の塩滑りがあった。しかし、積換えは時間も費用も要したため、ウエバ航路管財人は2つの航路がお互い直接通過できることを許す必要があると考えた。閘門が試案されたが、適当な場所が無く、運用による水の浪費のために捨てられた。1870年に、管財人は航路間に昇降機を公式提案した。アンダートン船溜まりは明らかにその船舶昇降機を設置すべき地点であった。管財人とトレント・マセイ運河の所有者は、北スタホドシャー鉄道会社に、費用の負担を依頼した。この交渉は失敗し、管財人は自らの予算で進めることとした。 管財人は、技師頭のエドワード・リーダ・ウイリアムスに船舶昇降機の設計を依頼した。リーダ・ウイリアムスは熟慮の末、お互いに平衡錘となることで昇降に僅かの動力しか要らない水満の対の函を用いることを提案した。鎖を頭上の平衡輪を経て対の函を繋ぐ類似の船舶昇降機が、1835年に大西部運河で完成していた。この設計は、負荷函を支える巨大な石作りの上部構造を必要とした。リーダ・ウイリアムスは、水封の水力芯棒を用いて函を支えたら、地下に埋められた芯棒と筒で重量を支えるので、とても小さな上部構造が使えることを発見した。彼は水力技師のエドウィン・クラークが設計・実験したロンドンの王立廢船渠の水力船舶昇降機と乾渠をみてヒントを得たのかもしれない。 船舶昇降機は水力芯棒案に決定し、リーダ・ウイリアムスはエドウィン・クラークを主設計者に任命した。その時、アンダートン船溜りは、ウエバ河北岸の開口で、小島を囲んでいた。この島に建設することとした。二つの錬鉄の函は長さ22.9メートルで幅4.7メートル深さ2.9メートルであり、夫々二艘の21.9メートルナロウボートか幅4メートルまでの艀を収容できた。各々の函は252トン(満水時。空では90トン)である。排水により、船舶の有無にかかわらず重量は同じである。おのおのの函は一つの鋳鉄の垂直な芯棒(長さ15.2メートル、内径0.9メートル)で支えられ、埋められた筒(長さ15.2メートル、直径1.7メートル)の中で移動する。河の高さでは、函は水に満たされた砂岩張りの部屋にある。地上の上部構造は、函の案内と上部作業場、歩道と取り付け階段の支えをする7本の鋳鉄管の柱からなる。上部では、トレント・マセイ運河と50.3メートルの両端に錬鉄製の水門のある錬鉄製水路橋で連結された。 通常の運用では、2本の水力芯棒は5インチの管で直接的に接続され、水が動くことにより重い函が降り、軽い函が上昇した。昇降の始めと終わりには、調整のために各筒が独立に蓄電池か上部にある10馬力の蒸気機関で初期化されている圧力容器にて駆動された。必要ならば、蒸気機関と蓄電池にて1つの水力芯棒を駆動させ別々に函を昇降できた。これには、30分かかった、通常の運行は3分であった。
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ABRIXASは、0.5-10キロ電子ボルトのX線域で、3年かけて全天サーベイ(掃天観測)を行うことを目指した。これは過去に0.1-2キロ電子ボルトの軟X線で行われたROSATのサーベイを補完する役割もある。計画には2000万ドルの費用を要した。 観測装置は焦点距離160cmのヴォルター-1望遠鏡7基で構成された。1基につき直径40分の視野がありそれぞれ7度離れた方角を向いていた。受光部は7つの望遠鏡で1つのセンサーを共有し、XMMニュートン用に開発されたX線CCDセンサーを転用した。
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