計画と船型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/13 08:00 UTC 版)
1938年10月28日に「支那事変に関する第三次戦備促進に関する件商議」が海軍大臣に対して提出されたが、その中には小型冷凍船(約500トン)2隻の整備が盛り込まれていた。これに基づき、昭和十四年度計画(第七十四回帝国議会の協賛を得て成立した昭和十四年度臨時軍事費)で建造されたのが1,000トン型の本船(後の杵埼)と、600トン型(後の野埼)である。 本船の運用実績を受けて、マル臨計画で同型3隻が建造されることとなったが、本船とマル臨計画艦とで大きく異なる点は以下のとおり。 本船:前檣はヤード付き棒マスト、マスト基部にデリック2本。積載量は生糧品82トン、真水71.7トン。 他艦:前檣は通風筒付きの鳥居型マスト、マスト基部にデリック各2本、計4本。積載量は生糧品84.6トン、真水71.7トン。
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